古代東海道

東武線鐘ヶ淵駅。かつて古代東海道と呼ばれる官道が通っており、多くの往来者で賑わっていたらしい。

現在も付近に住む人々、鉄道や自動車などせわしく行き交っている。

古代東海道

2011年7月2日撮影。鐘ヶ淵駅前交番。この道がかつての官道と重なるらしい。

古代東海道

2011年7月2日撮影。頻繁に遮断機がおりるため、往来が集中する踏切。

古代東海道

2011年7月2日撮影。古代東海道は、現在の位置関係にあわせると、交番の横から踏み切りを越えてセブンイレブンの横へ抜けるようなイメージ。

駅前に設置された墨田区教育委員会の説明板の内容は以下のとおり。

武蔵・下総を結んだ古代東海道

所在地 墨田区墨田2丁目〜4丁目

東武線鐘ヶ淵駅の付近には、武蔵国と下総国を結ぶ古代の官道がありました。古代東海道と呼ばれるこの街道は、現在の墨田区北部を東西に貫き、京の都から常総方面に至る幹線道路として多くの人々に利用されたと考えられます。

官道に定められた年代は、9〜10世紀と想定されます。『大日本地名辞書』に「隅田村より立石、奥戸を経、中小岩に至り、下総府へ達する一径あり、今も直条糸の如く、古駅路のむかし偲ばる」と記されるように、明治13年(1880)の地図からは、古代の官道の特徴を示す直線道を見出すことができます。また、この道筋には大道や立石など古代の官道跡に見出される地名が墨田区墨田・葛飾区四ツ木(大道)、江戸川区小岩(大道下)に確認できます。また葛飾区立石には、古代の標石に使用されたと考えられている立石様が残っています。これらは古代東海道の名残を示すものといえます。

鐘ヶ淵駅から西に進むと隅田川に至ります。江戸時代より前の時代、隅田川を渡るには船がおもな交通手段でした。承和2年(835)の太政官符で渡船の数を2艘から4艘にしたことは、隅田川を往来する人々の増加を物語っています。その行程をたどるのが『伊勢物語』東下りの場面です。在原業平が「名にしほはゝいざ事とはむ宮こ鳥わがおもふ人はありやなしやと」と詠ったとされる場所は、古代東海道をつなぐ渡であったのです。

平成23年3月

墨田区教育委員会