多聞寺境内に残る戦争の跡

多聞寺境内には戦災の記憶を伝える記録が複数残されている。

多聞寺

2011年7月3日撮影。山門手前に植えられた長崎爆心地の楠。

多聞寺

2011年7月3日撮影。東京大空襲の爆撃で折れ曲がった浅草国際劇場の鉄骨。

東京大空襲で被災した浅草国際劇場の鉄骨

1945(昭和20)年3月10日未明、アメリカ軍B29爆撃機330機による無差別絨毯爆撃を受け、下町一帯は”炎の夜”と化した。この東京大空襲により下町は壊滅状態に陥り、死者10万人、重傷者11万人、100万人が家を失った。(犠牲者の氏名、正確な人数は現在も不明)

この元浅草国際劇場の鉄骨(1998年現在、大部分は江戸・東京博物館に展示中)は、東京大空襲を語り継ぐ、数少ない歴史的”証人”である。風船爆弾の工場となっていた浅草国際劇場も直撃弾を受け、屋根を支えていた鉄骨は曲がり、ちぎれ、天井の大部分が抜け落ち、たくさんの人々が焼死した。目の前の痛ましくひきちぎられた鉄骨に向かって目を閉じてみると、炎の夜の恐怖がよみがえる。

戦争の実相を伝える”証人たち”に静かに心を傾け、不殺生の誓いを新たにしましょう。

隅田山 多聞寺

多聞寺

2011年7月3日撮影。空襲で焼かれた木とのこと。

戦災の証言者

パールハーバーから半世紀、終戦から46年目の1991年8月12日、この木は荒川区西日暮里1丁目2番7号(旧、三河島4丁目3420番〜3421番)に新しくビルを建てるための掘削により発見されました。

東京地域では、1942年4月18日から、1945年8月15日に至るまでに71回の空襲がありました。

ここに展示されている木は、43回目の1945年4月13日の23時から14日の2時22分にかけての空襲で焼かれた木です。

当日の投下爆弾は高性能弾81.9t、焼夷弾2037.7tで罹災地域は、西日暮里を含め139ヶ所に及びました。

戦火で焼け爛れたこの木は、生命の尊さを訴えるとともに、今、平和憲法のもと、再び戦火にまみれる事のない国を作ることを、私たちに求めています。

1992年10月18日 戦災の木を保存する会

Monument of World War Ⅱ

The monument, the burnt tree was discovered in 1-2-7 Nishinippori, Arakawa-ku ( former address 4-3420, 3421 Mikawashima ) where the construction of a new building had started, on August 12, 1991, a half century from the battle of Pearl Harbor, the 46th year from the end of World War Ⅱ.

There were 71 raids from April 18, 1942 to August 15, 1945.

Now the tree that is displayed in this place is the one that was burnt in the air raids from 11 p.m. April 13, 1945 to 2:22 a.m. April 14, 1945.

The bombs dropped were high quality bombs, 81.9t and incendiaries 2037.7t. The damaged area spread 139 places containing Nishinippori. This tree that was burnt in the war makes an appeal for precious life.

Now we should try to build a peaceful country forever under the peaceful constitution.

October 18, 1992

Sensai no ki wo hozonsuru kai

( The society to preserve the tree burnt in World War Ⅱ)