高木神社

応仁2年の創祀と伝わる高木神社。東武曳舟駅からすぐの住宅街のなかに位置している。

高木神社

2011年7月24日撮影。琉球風に思える鮮やかな色使いの拝殿。

高木神社

2011年7月24日撮影。手水舎。

説明板に記載された寺の由緒は以下のとおり。

高木神社

御由緒

応仁2年(1468年)の創祀と伝えられており、旧寺島村新田の鎮守として尊崇されてきました。御祭神は「高皇産霊神(タカミムスビノカミ)」(高木神)と申し、古事記や日本書紀によれば、天孫降臨の際の国譲り伝承や神武東征などに度々登場し、天照大御神に助言するなど政治的な手腕を振るってきました。

以上の神話から「万物生成」「人間関係を調整する」「交渉事を成就させる」などの尊い御神徳があると信じられて今日に至っています。

御祭事

1月1日 歳旦祭

2月節分日 節分祭

2月17日 祈念祭

6月7日 例祭

6月30日 大祓式

11月15日 七五三祭

11月23日 新嘗祭

12月31日 大祓式

毎月1日 月次祭

高木神社

2011年7月24日撮影。この付近で活動していた富士講の一つ山玉向島講社の碑。当時の講により結ばれた地域の人々の様子をうかがい知る貴重な資料として、区の登録文化財として指定されている。

高木神社

2011年7月24日撮影。内容は以下のとおり。

<墨田区登録文化財>

山玉向島講社の碑

所在地 墨田区押上2丁目37番9号 高木神社

山玉向島講社は、かつて向島地域にあった富士講(富士山を信仰する人々の団体)の一つです。講印から、江戸時代後期に成立した山玉深川元講から分かれた講と考えられます。講の参会には講印を配した祭祀具が用いられ、富士山登拝の際には富士吉田の御師「大番城」の屋敷に宿泊していました。沿革は不明ですが、明治7年(1874)と記された祭祀具が伝えられており、大正期には講員が100名以上であったと推定されています。本碑は、その山玉向島講社の人々が明治31年(1898)9月に建立したものです。

本碑には、正面に山玉向島講社の講印が彫刻され、その中に「廿三夜」と刻まれています。これは、山玉向島講社の人々が参会する日を示すと考えられます。また、裏面には建立にかかわった世話人16名の名が居住地別に刻まれ、建立当時の講社に先達、講元などの役割があり、当時の中心メンバーが須崎、中之郷、寺島の住人で構成されていたことを示しています。16名のうち、碑銘彫刻師として知られる3代目宮亀年(元宮為吉)が名を連ねており、碑刻者と推定されます。

世話人の経歴を調べてみると、須崎の人々は墨堤常夜燈(墨田区登録有形文化財)の奉納、寺島の人々は寺島小学校の創立というように、地域をあげての事業に関わる有力者層でした。碑に刻まれた須崎、中之郷、寺島の3区域の範囲は、向島地域にあって大きい部分を占め、山玉向島講社がそれまでの社会生活上のつながりを超えた広がりをもっていたことが分かります。

山玉向島講社は第2次大戦中に活動を停止したと考えられ、その具体的な活動を知ることは難しくなっています。この向島山玉講社の碑は、近代の墨田区における信仰と、地域の結びつきの広がりを理解するために欠くことのできない文化財といえます。

平成23年2月

墨田区教育委員会

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