飛木稲荷神社

飛んで来たイチョウの枝が大きく育ったことに由来すると伝わる飛木神社。

樹齢は5〜600年をくだらないと見積もられている。

飛木神社

2011年7月24日撮影。お稲荷さんとイチョウの御神木。神社の由来について記載された説明板の内容は以下のとおり。

飛木稲荷神社の縁起と由来について

○鎮座地 東京都墨田区押上2丁目

○祭神 宇迦之御霊神

一般に「おいなりさん」と言われ親しまれている神様で農工・殖産・生活の加護にお働きのある神様であります。

○神木 いちょう

樹齢千年をこえると言われ、戦火(昭和20年3月9日)により、損傷を受けましたが、ご覧のように元気に繁茂しております。

古老の言い伝えによれば、大昔のある時、暴風雨の際、どこからかいちょうの枝が飛んで来て、この地に刺さったとのことです。そしていつの間にか亭亭とそびえたので、時の人が、これは異状のことであるとして、稲荷神社をお祀りしたのが始めであると言われております。飛木稲荷の名もこれから起ったものです。

お祀りした時代については、当地は再三の水害・火災等により旧家や円通寺等では、古い書物が失われて詳しいことはわかりませんが、旧幕社寺奉行書によれば応仁2年(西暦1468年)とありますが、おそらくそれ以前であると思われます。

○お稲荷さんときつね

稲荷神社には石ぎつねがあり、またせともののきつねがたくさんあるので、きつねがお稲荷さんと思われがちです。そのことは、稲荷神社が最初に祀られた京都伏見稲荷神社境内のお山にきつねがたくさん住んでいたことから、きつねは、お稲荷さんのお使いであるという信仰が生まれました。この信仰から神社の前に置かれるようになったものです。

○境内神社

  日枝神社 祭神・大山咋神

  奥社稲荷神社 祭神・本社と同じ

寄進・昭和52年7月吉日

押上3丁目・伸成睦

飛木神社

2011年7月24日撮影。拝殿。

飛木神社

2011年7月24日撮影。空襲の際、延焼を防いだと伝わる。

’身代り’飛木の焼けイチョウ

名前の由来

昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で、ご神木(神霊が宿っているとされる木)は、我が身を焦がし、懸命に炎をくい止め、町の延焼を防ぎました。そして幸いにも多くの人達が助かりました。

ご神木は、戦災という大きな悲劇を乗り越え、数年を経て緑の芽を吹き出しました。

このようにたくましく生き延びた縁起のイチョウです。今の世にあって、私達に生きる勇気と希望を与えてくれています。

きっと焼けイチョウは、大変な戦争があったという事を、これから先も伝えてくれることでしょう。

平成22年6月吉日

飛木稲荷神社総代一同

掲示板奉納 多賀和弘殿

飛木神社

2011年7月24日撮影。墨田区の保護樹木にも指定されている。

墨田区保護樹木

樹種 イチョウ 5本

指定番号 25 26 27 28 29

指定年月日 昭和51年12月27日

墨田区の保護樹木として指定したものです。指定番号29号のイチョウは、墨田区で一番太い木です。高さは15メートル・幹の太さは4.8メートルとなっています。みんなで大切にしましょう。

墨田区長

稲荷神社代表役員 千葉 元

飛木稲荷神社のいちょう

所在 墨田区押上2丁目39番6号 飛木稲荷神社内

神社の名前に由来する御神木で、目通り約4.8メートルもあり、樹齢も5、6百年はくだらない区内随一の大木です。戦災で一部が焼失し、樹高も15メートルと低いが、近年いきおいを盛り返し、樹形も整ってきています。

江戸時代以前、このあたりは利根川(瀬替以前)の川口で、川の運ぶ堆積物により陸地化が進んできたところです。葛西地域の西の海岸線の一部となっており、平安・鎌倉時代あたりから、後の本所・向島の境ともなる古川沿いに自然堤防となっていたと推定されます。江戸時代この辺は寺島新田と呼ばれ、順次開拓されていく様子もうかがえます。

このいちょうの大木は、その自然堤防に育った歴史の証しといえます。

平成3年3月

墨田区