浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その1〜

浅草寺境内にはたくさんの碑や名所が残されており、ほとんどに浅草寺による説明板が設置されている。以下、目に付いたものを紹介させていただく。

本堂に向かって左側に建てられた大きな石柱。「迷子しるべ石」といい、迷子が出たときにそれを知らせる役目を負っていたらしい。それ以外にも貼り紙による情報交換に活用されていたとのことで、江戸の人通りの多いところに建てられたものの一つが、ここ浅草寺に残るものである。

迷子しるべ石

2011年8月7日撮影。浅草寺による説明板の内容は以下のとおり。

迷子しるべ石

昔、迷子が出た時には、この石碑でその旨を知らせた。

石碑の正面に「南無大慈悲観世音菩薩」と刻み、一方に「志らする方」、一方に「たづぬる方」とし、それぞれに用件を記した貼紙で情報を交換した。情報未発達の時代には重宝され、「江戸」市内の繁華な地に建てられたものの一つ。

安政7年(1860)3月、新吉原の松田屋嘉兵衛が、仁王門(現宝蔵門)前に造立したが、昭和20年の空襲で倒壊したため、昭和32年に再建された。

金龍山 浅草寺

鳩ポッポの歌碑。境内で鳩と戯れる子どもたちの姿を元にして明治34年にできた童謡「鳩ポッポ」。作詞は東くめ、作曲は滝廉太郎である。この歌碑は、昭和37年(1962)に建立されたものである。

鳩ポッポの歌碑

2011年8月7日撮影。

江戸時代の有名な石工大窪世祥によるものと思われる「正観世音菩薩碑」。

正観世音菩薩碑

2011年8月7日撮影。浅草寺による説明板の内容は以下のとおり。

正観世音菩薩碑

「正観世音菩薩」と碑の正面に刻まれている。当寺には観音さまを表した金石が多く奉安されているが、その中でもひときわ大きい碑である。

この石碑の銘文は長年の風雪により摩滅が進んでいるが、「文」や「窪世」とわかる所が残されていることから、江戸時代の有名な石工の大窪世祥が、文化・文政年間(1804〜29)頃に文字を彫ったと思われる。

他にも世祥の金石は3基、境内に残されており、当寺にも関わりの深い人であった。江戸町人の信仰を載せた金石が運ばれ、活気付く境内の様子が目に浮かぶようである。

南無観世音菩薩

金龍山 浅草寺

本堂向かって左側に配置された阿弥陀如来像。元禄6年(1693)建立という、かなり古いものである。もともとは本堂裏にあったものを、平成6年にこの場所に移したとのこと。

阿弥陀如来像 

2011年8月7日撮影。浅草寺による説明板の内容は以下のとおり。

阿弥陀如来像

阿弥陀如来さまは、極楽浄土にあって法を説き無量の光明と寿命をもって永遠の生命を与えてくださる仏さま。

この像は唐銅製で、阿弥陀三尊像として元禄6年(1693)に千人近い信徒によって建立された。もとは本堂裏にあったものを、平成6年にこの地に奉安した。総高7.5メートル。極楽往生の諸霊の頓証菩提を祈る。

金龍山 浅草寺

阿弥陀如来像隣の「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」。宝暦11年(1761)建立、明治40年に再建されたもの。宝篋印塔とは、内部に「宝篋印陀羅尼経」を納めた塔のこと。

宝篋印塔 

2011年8月7日撮影。浅草寺による説明板の内容は以下のとおり。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝暦11年(1761)、浅草寺信徒約千人によって建立され、明治40年(1907)に改修再建されたもの。唐銅製。

宝篋印塔とは、塔内に『宝篋印陀羅尼経』を納めた塔のことで、参拝諸人は計り知れない功徳を得るといわれる。

金龍山 浅草寺