木母寺と梅若塚

東白鬚公園内の木母寺には梅若塚を始め、由緒ある碑がたくさん残されている。

木母寺と梅若塚

2011年10月16日撮影。

木母寺と梅若塚

2011年10月16日撮影。「隅田川旧跡 梅若塚」の石標。

木母寺と梅若塚

2011年10月16日撮影。三遊塚。題字は山岡鉄舟、銘文は高橋泥舟の書とのこと。

木母寺と梅若塚

2011年10月16日撮影。天下之糸平の碑。都内で最も大きい碑。

木母寺と梅若塚

2011年10月16日撮影。その他たくさんの碑が並ぶ。

境内の諸碑についての墨田区教育委員会の説明は以下のとおり。

境内の諸碑

所在 墨田区堤通2丁目16番1号 木母寺内

「梅若塚」で知られる境内には、謡曲「隅田川」の碑など30基の石碑があり、著名なものとしては次の諸碑があります。

◆華笠文京翁碑

幕末に出た劇作家花笠文京(魯助)の数奇に飛んだ生涯を述べた碑で、弟子である仮名垣魯文が建てました。

◆天下之糸平の碑

高さ5メートル、幅3メートルを越す都内一の句碑です。明治の初め、貿易で成功を収めた田中平八(通称天下の糸平)の石碑です。親交のあった政治家、伊藤博文の書です。

◆三遊塚

三遊亭円朝が先師初代円生追福のため、明治22年に建てた碑です。題字は山岡鉄舟、銘文は高橋泥舟の書です。

◆題隅田堤桜花(隅田堤桜花に題す)の詩碑

亀田鵬斎の作ならびに書で「長堤十里、白にして痕なし、訝しむ澄江の月と共に渾るに似たるを。飛蝶還り迷う三月の雪。香風吹き度る水晶の村」と読みます。銘文は9歳の少年、清水孝の書です。文政12年建立。

 平成8年3月

墨田区教育委員会

木母寺と梅若塚

2011年10月16日撮影。ごつごつとした岩の固まりのようなものが梅若塚とのこと。

梅若塚の沿革

「たづね来て問はばこたえよ都鳥すみだ河原の露ときえぬと」の辞世で名高い梅若塚は中世からは能「隅田川」の文学的旧跡、また江戸時代には梅若山王権現の霊地として尊信されました。

明治の世となり木母寺が廃寺の後は梅若神社と称されましたが同寺再興の翌年(同22年)佛式に復帰しました。

現在地に遷座したのは昭和51年で旧地は門前の団地住宅第9号棟の東面梅若公園内に存置、石標が立っています。