平河天満宮

都心、平河町にある平河天満宮。

2012年3月25日訪問。

平河天満宮

入口の鳥居。千代田区指定の有形文化財である。

千代田区教育委員会の解説は以下のとおり。

千代田区指定有形文化財(建造物)

平河天満宮銅鳥居

指定 平成6年4月

この銅鳥居は、高さ5メートルにもおよぶ鳥居です。支柱にある銘文によれば、天保15年(1844)12月に、麹町周辺の人々によって建設・奉納されたものと思われます。千代田区内には現在沢山の特徴的な鳥居が建てられていますが、この銅鳥居が、区内最古の鳥居です。

同様に銘文からは、この鳥居が御鋳物師・西村和泉藤原政時の作品であることもわかります。「西村和泉」というのは、『文政武鑑』に「御鋳物師 西村和泉 並御錺師 かんたかち丁一丁メ」とあるように、元禄から明治期まで12代にわたって神田鍛冶町に居住した鋳物師の一家系を示します。彼らは江戸とその周辺に梵鐘、灯籠、水鉢等々多くの作品を残しました。彼ら12人の当主のうち多くは「西村和泉藤原政時」を名乗りましたが、平河天満宮銅鳥居の作者は、嘉永元年(1848)に没した8代目であると思われます。

なお新宿区市谷八幡町には、「平河天満宮銅鳥居」によく似た「市谷亀ヶ岡八幡宮の銅鳥居」(新宿区指定文化財)があります。これは「西村和泉」家5代目当主・西村和泉藤原政平らによって作られた作品です。ただし平河天満宮の銅鳥居には、左右の台座部分に4体づつ獅子の彫刻がのせてあるなど、良く見ると少しずつ違いが見つかってきます。

平河天満宮の銅鳥居は、麹町周辺の町地に住む人々の平河天満宮への信仰の様子を物語ると同時に、江戸時代の鳥居の姿を私たちに教え、その特徴的な意匠で私たちを楽しませてくれます。

 平成8年3月

千代田区教育委員会

平河天満宮

この常夜燈も貴重な文化財。同様に千代田区教委の解説は以下のとおり。

千代田区指定有形民俗文化財

平成17年4月1日指定

常夜燈 一基

この常夜燈は、本来、左右一対ですが、完形で現存するのは1基のみで、もう1基は残存している石材を積み上げて往時をしのばせています。

寸法は、高さ3.45メートル余、幅・奥行ともに1.26メートルです。

材質は、安山岩ですが、火袋には花崗岩が、基礎にも新しい石材が使用され、ともに後世に補われたものです。

装飾は、火袋の左側面に月(三日月)、右側面に日輪の形が施されており、中台には祭神菅原道真にちなんだ梅鉢の文様が付いています。

銘文は、竿に「常夜燈」(正面)・「奉納」(左側面)・「別当常全代」(背面)・「嘉永五壬子年閏二月吉祥日」(右側面)とあります。また、基檀にも、「雲龍堂」(3段目の正面)とあるほか、2段目及び3段目全体に世話人・発起人をはじめ「雲龍堂充國門弟」・「龍海堂門弟」・「充國門弟」の肩書をもつ多数の人名があり、嘉永5年(1852)閏2月にこれらの人々により奉納されています。

雲龍堂と龍海堂は区内にあった寺子屋です。雲龍堂は、文政年間から文久年間(1818〜1864)まで麹町八丁目(現在の麹町5丁目)にあり、町人の光國が教師となり、生徒数は250名(男150名・女100名)でした。龍海堂は、文化元年(1804)松田町(現在の鍛冶町2丁目)に開業し、町人の布施タキが教師となり読み書き・算術・活花を教え、生徒数は160名(男55名、女105名)でした。

なお、嘉永5年は菅原道真公の950年遠忌であり、当社でも2月25日から4月5日まで開帳が行われ、御真筆・御影・神宝が公開され、作庭が3ヶ所、発句連の句会開催、境内では曲馬・手妻・鉄割りなど興行も行われました。また、境内には、この開帳にあわせて作製・奉納されたと考えられる石造物が3件あります(狛犬〔再建〕・百度石・筆塚)。

この常夜燈は、区内の寺子屋とその関係者の天神社に対する信仰の様子を物語るものです。

 平成17年12月

千代田区教育委員会

平河天満宮

千代田区指定有形民俗文化財

名称・員数 石牛 一基

所在地 千代田区平河町1丁目7番5号

所有者 宗教法人 平河天満宮

年代 嘉永5年(1852)

この石牛は、浄瑠璃常磐津節の岸沢右和佐の麹町の門弟らによって奉納されたもので、奉納された嘉永5年(1852)は、祭神である菅原道真公の950年忌にあたっています。江戸市中の天満宮では開帳が行われており、平河天満宮でも2月25日から60日間にわたって催されています。

この開帳にあわせて、氏子たちは、石牛のほかにも境内の石造物(狛犬・筆塚・百度石・常夜燈)を奉納しています。

平河天満宮には、氏子町の人々による信仰、ならびに氏子地域を越えた学業成就の信仰に基づく奉納物が数多く見られます。その中で、石牛は、常磐津節の一流派である岸沢系の麹町界隈の門弟らによって造立・奉納されたものであり、区内における学芸の広がり及び天神社に対する信仰の様子を物語る資料といえます。

平成23年3月

千代田区教育委員会

Designated Tangible Cultural Property of Chiyoda City

Designated on April 1, 2010

Stone cow

This stone cow was offered by Kojimachi disciples of Kishizawa Uwasa, a master of Tokiowazu Joruri narrative music. It was offered in 1852, the 950th anniversary of the death of Sugawara no Michizane, who is enshrined as a deity here. It is an artifact that speaks of the beliefin Tenjin Shirines that was held among academic and cultural figures in the ward.

March 2011

Chiyoda City Board of Education

平河天満宮

平河天満宮(平河天神)由緒略記

御祭神

菅原朝臣道眞公(学問の神)相殿

 誉田別命(八幡宮)

 徳川家康公(東照宮)

摂末社

平河稲荷神社(商売の神)

三殿宮

 大鳥神社(おとりさん)

 塩神社(生活の神)

 浅間神社(せんげんさん)

祭事例大祭4月25日

 梅花祭(3月) 夏祭(8月)他、恒例祭

御由緒

江戸平河城主太田道灌公が城内の北梅林坂上に文明10年(1478年)江戸の守護神として創祀された(梅花無尽蔵に依る)

慶長12年(1607年)二代将軍秀忠に依り、貝塚(現在地)に奉遷されて地名を平河天満宮にちなみ平河町と名付けられた。

徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼に宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていた。また学問に心を寄せる人々古来深く信仰し、名高い盲学舎塙保己一蘭学者高野長英の逸話は今日にも伝えられている。

現在も学問特に医学芸能商売繁昌等の信仰厚く合格の祈願等も多い。

平河天満宮

平河天満宮

千代田区指定有形民俗文化財

狛犬

指定 平成7年4月

本殿向かって右側の石像の銘文によれば、この狛犬は、享和元年(1801)に麹町周辺の人々によって奉納され、嘉永5年(1852)に再建されたことがわかります。一方左側にも銘文が刻まれていますが、現在では剥離していてほとんど読むことができません。ただし、「新撰東京名所図会」(第18編)には、この銘文が収録されています。これによると、先代の狛犬がこわれてしまい、あらたに紫宸殿の障屏画をもとに狛犬がつくられ、これが嘉永3年(1850)の火災で角や足を失い、同5年にこれらを補修して再設置した、とのことです。

「新撰東京名所図会」にある紫宸殿の障屏画とは、一般に『紫宸殿賢聖障子』といわれるものであると思われます。「賢聖」とは徳のある人物のことで、中国では紀元前2世紀ころから功臣たちを書き並べるこの「賢聖」の図が描かれはじめます。この賢聖達の中央に魔除けとして通例描かれているのが、一対の「獅子」と「狛犬」です。日本でも平安時代には賢聖障子が御所の紫宸殿に描かれるようになりました。紫宸殿賢聖障子に描かれている獅子と狛犬のうち、狛犬は頭上に角をもっています。平河天満宮の狛犬を見ると、左側の石像の頭上には、径10センチ、深さ5センチほどの窪みができています。これは角が掛け落ちた跡のようです。平河天満宮の狛犬は、そのモデルを考えた場合、厳密にいえば「獅子」(右側)と「狛犬」(左側)との対になっているといえます。

平河天満宮の狛犬は、そのユニークな出自で私たちの興味をひきつつ、麹町周辺に暮す人々の平河天満宮への信仰の証として今日もその境内に佇んでいます。

 平成8年3月

千代田区教育委員会

平河天満宮

「力石」は、あちこちの神社や寺で見られる。力試しの石。

千代田区指定有形民俗文化財

『力石(天龍石)』

指定 平成5年4月

「力石」とは、一定重量の大小の円形または楕円形の石で、村の鎮守、神社境内、会所や村境(今日の行政単位の村ではない)にあって、若者達が力試しに用いたと記録されています。

古来、わが国民間信仰では石に係わる信仰は多く、石に神霊がこもる、あるいは石を依代としている神々も多いとされています。

また、「力石」における伝承のひとつとして、「道切」説もありますが、「巨人伝説の大草鞋」などと同種のものと考えられます。しかしこれらは、石神等に関する伝承の変化であって、昔は、村々に疫病の侵入を防ぐための神であり、呪い等であったようです(疫病は道を伝わって来ると信じられていました)。

平河天満宮の力石の由来は詳らかではありませんが、江戸・東京の若者達の生活と娯楽の一端を知るうえで貴重な資料であると思われます。

なお、本力石の表面には、中央に「天龍石」、右端に「十店助次郎持之」、左端に「同新助」と刻まれています。

 平成6年12月

千代田区教育委員会

 

場所:GoogleMap

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