北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地。現在では、「ふっくりんこ」の生まれ故郷。過去から現在、そして未来、北海道の米の歴史は、いつもここから。

碑の内容は次のとおり。

水田発祥由来

亀田郡大野村字文月押上のこの地に元禄五年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って人々の定着は米にあるとして地を拓し自然水により四百五十坪を開田し産米十俵を収穫した 尓来消長あったが後「御上田」と称して現在に及んでいる 先人未踏の北辺に今日道産米三百万石の基礎はかうして発祥したものである

渡島支庁長 岡武夫書

昭和二十四年八月 建之

2012年9月15日訪問。

北斗市教育委員会による説明板の内容は次のとおり。

 北海道水田発祥の地碑

蝦夷地の米作りには、寛文年間(1661~71年)、貞享2年(1685年)、元禄5年(1692年)の記録がある。水田発祥の地碑は、元禄5年の『松前志』の記録と村民の伝承によって昭和24年(1949年)に建てられた。

碑文には「押上(文月村)のこの地に元禄五年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って、人々の定着は米にあるとしてこの地を拓し、四百五十坪(約15アール)を開田し、産米十俵(現在の2俵程度)を収穫した」と記されている。現在の道産米の基礎はこうして発祥した。

作右衛門の水田は2、3年で廃止され、その後も稲作は失敗と成功を繰り返し、文化2年(1805年)には箱館奉行が大規模な水田開発を行ったが、長くは続かなかった。

嘉永3年(1850年)、大野村の高田松五郎・万次郎親子が苦心の末、米の収穫に成功すると、近隣の村々にも広がり、安政元年(1854)以降、米作りはようやく安定した。明治6年(1873年)になって、島松(現北広島市)の中山久蔵がこの地の品種「赤毛」で寒冷地稲作に成功し、米作りは全道各地に広がったのである。

平成18年3月 北斗市教育委員会


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