萩野稲荷神社

北斗市萩野、函館方面から大野新道(国道227号)を久根別川を渡った地点で右折してすぐの場所に萩野稲荷神社がある。

かつてはこの久根別川を、上流から下流へと物資を輸送するために活用しており、この萩野稲荷神社近辺は交通の要衝であったらしい。

この神社、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を勧請しているとのこと。この名前の「ウカ」は穀物の意味であり、付近農民の豊作を祈る神社としても役割を担っていたのだろう。

国道227号は現在でも札幌と函館とを結ぶ重要な道路であり、また、大野平野も豊かな農業地帯である。今と同じく明治期においても、このエリアが重要な場所であったということを、この小さな社は物語っているのだろう。

百萬遍の塔。

かねのわらじ。

2013年4月21日訪問。

北斗市教育委員会による説明板の内容は次のとおり。

萩野稲荷神社

萩野稲荷神社は、久根別川の河畔にある鎮守社で、倉稲魂命を勧請している。萩野の集落の大部分は、この久根別川に沿ってできており、上流の七飯から上磯を経て函館まで物資を運ぶ際、上磯と七飯の間に位置する交通の要所であった。この川はよく氾濫したので、昭和26年(1951年)に函館土木現業所の手で改修工事が行われ、川の突出部に位置した境内も削られて細長くなった。

萩野の本村である一本木村が、開拓使に願い出た用水路の掘削は、明治11年(1878年)に久根別川の改修工事があった際認められたもので、以来、水田開発も進んだ。このことからしても、神社の創立は明治10年(1877年)よりも前と推定される。

明治22年(1889年)に大野新道(国道227号)が開通して、交通量が増大し、村勢は一変した。明治28年(1895年)ごろから神社の拝殿で開かれた竹部塾も萩野分校となり、明治35年(1902年)には萩野分校の校舎が竣工され、萩野小学校となった。

平成14年8月 大野町教育委員会

かねのわらじ百万遍の塔と地蔵堂

社殿の鴨居に八の字に張りつけられている鉄製のわらじは、大正7年(1918年)ごろ、当時流行の疫病を払うために、祈とう師のお告げにより氏子たちが、函館の鍛冶屋につくらせたものである。かねのわらじの信仰は当時の感冒など病魔払いのシンボルとして奉納されたものである。

また、社殿に向って右後方に並んで百万遍の塔と地蔵堂がある。百万遍のルーツは、大数珠を百回繰り回し祈願する仏教行事で、家内安全、豊作、安産などを願ったが特に、乳もらい地蔵さんと呼ばれ、お供えした米で妊婦がご飯を炊くと母乳に恵まれ丈夫な子が育つと崇拝されたものである。

平成元年4月 大野町教育委員会


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