己巳役海軍戦死碑

弥生坂を登り切る少し手前を右に進むと、己巳役海軍戦死碑がある。己巳役(きしのえき)、箱館戦争のさなかに戊辰から己巳に干支が替わったことからこのように呼ばれている。

榎本武揚率いる旧幕府軍に注目が集まりがちだが、時代の節目となった大きな戦争である。明治政府軍にも約300人の戦死者が出た。軍艦「朝陽」は、旧幕府側軍艦「蟠龍」の砲撃により沈没した。

この碑は、箱館戦争終結してすぐの明治2年に建立されたものと考えられている。沈没した朝陽の副艦長以下73名の新政府海軍戦死者名が刻まれている。

今では目の前にはたくさんの住宅が並んでいるが、かつてはこの場所から箱館の湾とまちを一望できたのだろう。

 

2013年4月21日訪問。

函館市設置の観光標識の内容は次のとおり。

己巳役海軍戦死碑

ここは、明治2年(1869年)の箱館戦争で戦死した新政府海軍慰霊の場所である。同年4月、討伐体制を整えた新政府軍は、旧幕府脱走軍に攻撃を開始、5月11日箱館湾海戦で新政府軍軍艦「朝陽」は、旧幕府脱走軍軍艦「蟠龍」の砲弾を受けて沈没した。

この石碑には、朝陽艦副艦長夏秋又之助以下73名の新政府軍海軍の戦死者名が刻まれている。建立年月は刻まれていないが、明治2年に建立されたものと思われる。

碑の石は、「高田屋の亀石」と呼ばれていた石の一部である。高田屋嘉兵衛全盛のころ、現宝来町に築かれた「高田屋御殿」と呼ばれた豪邸の庭園に据えられていたものである。

嘉兵衛が、貧民救済の目的をかねて住吉浜の海中にあった2畳敷ほどの巨石を多数の人を動員して引き揚げさせたところ、亀に似ていたので亀石と呼ばれた。

護国神社(青柳町)にある「海陸軍戦死人名」碑と「招魂場」碑も同じ亀石を割って作られたものであり、いずれも箱館戦争新政府軍戦死者を祀った記念碑である。

函館市


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