女人禁制の地に建つ神威岬灯台

厳しい場所に建つ灯台。それを守ってきた職員や地域の人々の歴史。

神威岬灯台

設置されている説明板によると、この灯台は、北海道庁が明治21年(1888年)から6年間にわたって20基の灯台を建設した際の最初の灯台であり、明治21年(1888年)8月25日に初点灯、道内に現存する灯台では5番目に古いものであるとのこと。

■位置
 北緯43度20分00秒
 東経140度20分51秒
■光り方
 単閃白光 毎15秒に1閃光
■光の強さ
 17.0万カンテラ
■光の届く距離
 21.0海里(約39キロメートル)
■高さ
 地上から灯台頂部 約12メートル
 水面から灯火 約82メートル

また、この灯台の歴史を記したプレートの内容は以下のとおり。

北の辺境の地で、日夜航海の安全のため「守灯精神」のもと厳しく、辛い灯台守の生活と地域の方からの経緯をここに御紹介します。

そして、安全への願いを込めてこれからも光り続ける灯台を大切にして下さい。

◆「恨みますぞいお神威さまよ、なぜに女の足をとめる」(江差追分)

ここ神威(かむい)岬は風光明媚な景色を人々に堪能させてくれる一面、古くは西蝦夷地三険岬の一つとして、航海の難所として知られています。

灯台ができた明治21年(1888年)には職員3名が勤務し、灯台にたどり着くには余別の集落から片道4kmもの険しい山道を登ったり、降りたりしていました。

特に、岬に近づくと崖が続き一歩踏み外せば海に落ちてしまう怖いところが何箇所もあり、子供や女性にとっては困難を極め、灯台の職員家族や灯台を訪れる人は、海岸の大きな石を飛びはねながら伝って歩くのが普通でした。

生活は、天水を貯め、これを生活水として利用し、電気のない時代ですのでランプを灯し、食料は自給自足が欠かせなかったようですが、米、味噌、醤油、塩といった日用品は木船の備船で買出ししていました。

◆「南無阿弥陀仏、ナミアミダブツ、なむあみだぶつ」

大正元年(1912年)10月の天皇誕生日に灯台長婦人と三歳の次男、補助員の奥さんがお祝いの食料品を買出しに余別まで行く途中大波に飲み込まれ行方不明になってしまいました。

村人たちは、これに心を痛め協力してトンネルを掘ることになり、手にタガネ、ハンマー、そして掘り出した岩を運ぶモッコなどの道具をもって集まり、光りが届かない真っ暗な中、一ノミ、一ノミ掘り続け、7年の歳月をかけ大正7年(1916年)に心暖まるトンネル(念仏トンネル)と呼ばれています。)が完成し、灯台職員や家族、そして灯台を訪れる人たちの安全が守られました。

神威岬灯台は昭和35年(1960年)の無人化になるまで、職員90人とその家族により守られました。

参考文献:「北の灯台を守る人々」小山心平著

     「燈台風土記」燈光会刊

第一管区海上保安本部

小樽海上保安部

平成21年9月