東開発稲荷神社と水虎大神の碑

倉稲魂命の分霊を勧請した東開発稲荷神社。ウカノミタマの「ウカ」は穀物。穀物の神である。また、境内には水虎大神と称する石碑がある。こちらは、飲料水や灌漑用水といった水をつかさどる神である。

穀物の神と水の神、いずれもこの地における農業にとっては不可欠な神であり、当時の人々の農業を中心とした生活の様子が偲ばれる。

旧大野町教育委員会による説明板の内容は次のとおり。

東開発稲荷神社と水虎大神の碑
東開発稲神社の創立は明治20年(1887年)ごろで、祭神は意冨比神社の境内にある稲荷神社の倉稲魂命の分霊を勧請している。その起こりは、明治17年に入植した者が原因不明の病で死亡し、一同不安を抱くので、代表の森井駒吉氏(四国出身)は、開拓に尽力していた高田万次郎氏に告げ、同志の西川初蔵氏が応援して分霊勧請となったと伝えられている。また境内には東開発の人々が主となり、神社創建満50年をぼくして、開発功労者6氏の頌徳碑を昭和12年(1937年)に建立し、9月10日に除幕式が行われ、その日を祭日とした。撰文はその時の長官・石黒英彦のものである。
ここ境内に、水虎大神と称する石碑がある。水神のことを水神様という場合があり、飲料水をはじめ、かんがい用水または海水を含めてつかさどる神として、昔の人の水神へのあがめ方と関心は今の人の創造にあまるものがあったとされている。農民にとってかんがい用水にまつわる水神は最も身近な神であり、稲荷信仰とともに厚く祈願をこめられた神であった。水虎大神と称する石碑に当時の農業や開拓時の労苦にまつわる生活舞台を偲ぶことができる。
平成3年5月 大野町教育委員会

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