信善光寺の屯田兵人形(北見市川東)

北見市川東、常呂川沿いの高台にある信善光寺には、北見開拓の基礎を築いた屯田兵の人形75体が展示されている。

1923(大正12)年に、当時の住職が彼らの功績を称えるため、日露戦争当時の写真をもとに制作したものらしい。

私の実家も北見市川東にあり、子供の頃に何度か見たことがあった。今回、十数年ぶりにこの人形を見ることができた。昔の記憶どおり、一体一体顔つきの異なる人形から、リアルな屯田兵の姿をイメージすることができる。

北見開拓は、屯田兵と高知からの北光社移民団の役割が大きく、北光社の「北光」、屯田兵初代大隊長の小泉正保の「小泉」、2代目大隊長の三輪光儀の「三輪」、これらは現在も北見市内の地名として残されている。

寺の前に設置されている説明板の内容は次のとおり。

民俗文化財「屯田兵人形」の由来
 屯田兵が野付牛(現北見市)の開拓に入地したのは、明治30年(1897年)と31の両年で、約千戸の大所帯でした。しかし、昼なお暗い野付牛の原生林を切り拓き、厳しい気候条件での開墾は遅々として進まず、明日の糧にも困る暮らしであったといいます。
 このような幾多の苦難にも耐え抜き、当地発展の礎となった屯田兵の遺徳を顕彰するため、浄土宗信善光寺の吉田信静尼(よしだしんじょうに)は屯田兵人形の制作を思い立ちました。制作は名古屋市の玉正商会に依頼され人形師荒川宗太郎氏の指導のもと、弟子の木場賢治氏と二人で日露戦争当時の写真をもとに希望者75体の人形が作られました。人形の素材は頭部がキリ材、胴体と鉄砲・台座はサワラ材が使われ、衣装は軍装の高さ68cm前後の立像です。
 屯田兵人形はここ信善光寺の本堂に安置され、当時の屯田兵をしるうえでの貴重な資料となっています。
 (昭和44年(1969年)11月3日に北見市指定文化財第2号)

参考:『北海道の歴史散歩』北海道高等学校日本史教育研究会編 山川出版社 2006年