大郷寺(北斗市本郷)

白川伊右衛門の墓。「文化丁四年五月二十六日」と刻まれている。

北斗市本郷16の大郷寺には、樹齢約210年を超えると言われる見事な公孫樹が立っている。毎年、11月頃には鮮やかに色づいた葉を見ることができる。

『北海道寺院沿革誌』(星野和太郎編、明治27年)によると、大郷寺の建立は文化2年、常陸国茨城郡河合村の枕石寺衆徒であった僧西宣が開基となり、現在の稲里(当時は市渡村字八軒家だった)に千葉道場として建てられた。その後、文政元年に現在地へ移転、安政5年12月に大郷寺と改称した。

なお、『大野町史』によれば、大郷寺の「大郷」は西宣の姓に由来するらしい。

八軒家に千葉道場が結ばれた文化年間の初期頃には、現在の本郷周辺にはまだ集落が形成されていなかったらしい。

また、境内の墓地には、本郷開田の祖と言われる白川伊右衛門の墓も残されている。

 

 

北海道設置の大郷寺の公孫樹に係る説明板及び大野町教育委員会(当時)設置の説明板の内容は以下のとおり。

大郷寺の公孫樹記念保護樹木
この木は、樹齢175年と推定されるいちょうの木です。文化2年(1805年)に本郷の開祖、白川伊右衛門、僧西宣の2人が来道し、のちの13年後、現在の大郷寺の地に移ったとき、このうちのどちらかが、植えたものと思われるが不明である。 秋には、たくさんの実をつけ、参拝と合わせ大勢の町民でにぎわう、又隣接に幼稚園もあり子ども達の教育樹木としても親しまれている。
昭和47年3月25日指定 北海道  

 

大郷寺と白川伊右衛門の墓
大郷寺は、東本願寺大谷派の寺である。 大野村史によれば、文化2年(1805年)は箱館の千葉久治が市渡村の八軒家(現在の稲里)に開拓を志し、常陸国(現在の茨城県)の枕石寺の衆徒であった日野西宣と協力し、福山専念寺及び本山の許可を得て千葉道場を建立した。次いで、文政元年(1818年)に八軒家から現在の地へ移転した。その移転先の土地は、白川伊右衛門の寄付地であったといわれている。安政5年(1858)に大郷寺と改称された。 さて、大郷寺の境内に白川伊右衛門の墓がある。白川伊右衛門は、本郷の開田の開祖といわれている人であり、開田は文化2年より始められ文化4年までの3か年間で、墾田面積は45町歩である。伊右衛門は文化4年5月26日に本郷で亡くなっている。しかし本郷の在住期間はわずか2年ほどであったといわれている。
平成15年8月 大野町教育委員会