茂辺地と煉瓦

北斗市茂辺地に、かつて開拓使による茂辺地煉瓦(化)石製造所があったことは以前にも紹介したところ。

茂辺地は、この製造所が作られる前から、良い煉瓦土の採れる場所として知られていたらしい。開拓使による製造所建設に当たっては、榎本武揚らによる調査結果も影響があったものと推測されるほか、当該調査の際には、この茂辺地の粘土や煉瓦土の情報は榎本の知るところだったはず。

実際に茂辺地において、文久元年(1861年)から2年間に、3万枚の煉瓦が作られていたそうだ。

明治5年に、開拓使による茂辺地煉瓦(化)石製造所が建設される。これは明治9年に生産中止となるが、この間製造された煉瓦の品質が悪かったことに加え、主な需要地である札幌までの輸送コストの問題が大きかったようである。

明治11年に生産が再開され、この頃(再開後)に製造された煉瓦が使用されている建物が、函館市内に現存する旧開拓使函館支庁書庫及び市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)である。

設立当初の煉瓦品質が悪く、再開後の品質がなかなかのものだったらしいことに鑑みると、やはり製造に係る技術者の能力が大きく影響を与えていたのだろうと推測される。