大野養蚕場

拙宅、大野農業高校に隣接しており、同校の周囲には「土塁」や「養蚕」に関わる由緒を記した標識が設置されている。かつてここには開拓使による大野養蚕場が置かれていたらしい。明治19年には德川義禮に無償貸与され、その後払い下げとなっている。養蚕事業自体は収支の関係からか明治45年には行われなくなっていたとのこと。

德川義禮は讃岐高松藩主松平頼聰の次男として文久3年に生まれた人物である。当該地、払い下げを受けた徳川に因み、のちに一般に徳川農場と呼ばれるようになった。