法亀寺のしだれ桜

法亀寺のしだれ桜

法亀寺のしだれ桜。今年もたくさんの方がいらしてました。ウソに蕾をやられて花が少ないと言われていましたが、それでも十分に見応えがあります。夜のライトアップはさらに素晴らしいものです。

法亀寺のしだれ桜と小山内龍

法亀寺は日蓮宗実行寺の末寺である。1849年(嘉永2)大野村東下町に法亀庵として建てられ、その後法亀寺に改称し、1889年(明治22)現在地に移転した。
境内にある一本のしだれ桜は推定樹齢300年で高さは12mくらい。
垂れ下がった枝いっぱいに花が咲く。これほど見事な桜は珍しいという。
また、小山内龍(本名澤田鉄三郎)は函館に生まれ東京で漫画家、絵本作家として活躍した。「昆虫放談」は名作である。1945年(昭和20年)戦災に遭い本町に疎開し翌年なくなった。小山内龍は法亀寺に眠っている。
法亀庵建立に尽力した中村金兵衛や大野小学校長田中幸次郎の墓、果樹王と呼ばれた岡山峰吉の碑などがある。
平成11年10月
大野町教育委員会
平成18年2月1日より北斗市教育委員会

岡山峰吉の碑

碑文は「岡山峰吉(みねきち)君は理想に近き実業家なり。君を失いしは大野村の一大損失にして、その誇りとする青年の指導者を失いしなり」の一節から始まる。
明治末期から大正中期にかけて、村民から「果樹王」と呼ばれた岡山峰吉は、明治4年(1871)、茨城県河内郡太田で生まれた。同31年7月、夕張、長沼を経て、単身大野へ移住している。峰吉の果樹園はかつて山田致人(むねと)が果樹園を試みた地で、苗床10町歩、果樹園10町歩を経営し、りんご、なし、桜桃(おうとう)、ぶどうを栽培、年産額1万円の収穫を得るまでに成功したことが碑文に記されている。
その努力と大成功に村民から敬愛されたが、大正9年(1920)3月、数え年50の春に他界した。石碑は同年6月、峰吉の妻・蘭によって向野の道路沿いに建てられ、後に法亀寺に移された。碑文を書いた伊藤松太郎は函館の教会の牧師で、峰吉は熱心なクリスチャンでもあった。
短命で後継者のない、はかない果樹王であったが、法亀寺の墓に刻まれた遺言と思われる「我は復活也生命なり」という句から、世俗を達観した人であった。
平成18年3月吉日
北斗市教育委員会

参考