志苔館

道南十二館の一つ「志苔館」。空港にも近い丘の上にある。

志苔館の近くからは、約37万枚にも及ぶ大量の古銭が発掘されたが、誰が何のために埋めたのか、はっきりとはわかっていない。

発見された古銭は市立函館博物館にて見ることができる。

志苔館

2008年11月9日撮影。志苔館跡へ続く砂利道。

志苔館

2008年11月9日撮影。

志苔館

2008年11月9日撮影。館跡の内部には、当時の建物や柵の位置等が再現されている。

志苔館

2008年11月9日撮影。志苔館から見る函館山。観光で訪れる人も少ない静かな場所。離着陸する航空機も見ることができる。

志苔館跡入り口に設置されている説明板の内容は次のとおり。

史跡 志苔館跡
昭和9年8月9日史跡指定
昭和52年4月27日史跡追加指定
志苔館跡は、函館市の中心部から約9キロメートル離れた標高25メートル程の海岸段丘南端部に位置している。
西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができる。
館跡は、ほぼ長方形をなし、四方は高さ2〜4メートル、幅10〜15メートルの土塁で囲まれ、その外側には、壕が巡らされている。
郭内は、東西70〜80メートル、南北50〜65メートルで、約4100平方メートルの広さがある。
また、館跡の正面にあたる西側には、二重に壕が掘られ、さらに外側に小土塁が巡らされている。
松前藩の史書『新羅之記録』によると、室町時代頃、道南地方には12の和人の館があり、志苔館跡もその一つで、小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されている。
この記述によれば、康正2年(1456)志苔館付近でアイヌの蜂起があり、この戦いにより翌長禄元年5月14日志苔館が攻め落とされたといわれている。
戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正9年(1512)4月16日にアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎良定が討死したといわれている。その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となった。
函館市
文部省