北海道水田発祥の地碑

北海道の水田発祥について、発祥の地碑があるのは現在の北斗市である。

1番がどこかというのはどうでもよくて、北海道における米作りの先駆的な場所だったということが重要であると個人的には思っている。

現在では北海道米を代表する「ふっくりんこ」。これに繋がる道南における米作りの歴史。ここが面白いところ。

北海道水田発祥の地碑

2009年8月2日撮影。

北斗市教育委員会設置の説明板の内容は次のとおり。

北海道水田発祥の地碑
蝦夷地の米作りには、寛文年間(1661〜72)貞享2年(1685)、元禄5年(1692)の記録がある。水田発祥の地碑は、元禄5年の「松前志」の記録と村民の伝承によって昭和24年(1949)に建てられた。
碑文には「押上(文月村)のこの地に元禄5年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って、人々の定着は米にあるとしてこの地を拓し、450坪(約15アール)を開田し、道米10俵(現在の2俵程度)を収穫した」と記されている。現在の道産米の基礎はこうして発祥した。
作右衛門の水田は2、3年で廃止され、その後も稲作は失敗と成功を繰り返し、文化2年(1805)には箱館奉行が大規模な水田開発を行ったが、長くは続かなかった。
嘉永3年(1850)、大野村の高田松五郎・万次郎親子が苦心の末、米の収穫に成功すると、近隣の村々にも広がり、安政元年(1954)以降、米作りはようやく安定した。明治6年(1873)になって、島松(現北広島市)の中山久蔵がこの地の品種「赤毛」で寒冷地稲作に成功し、米作りは全道各地に広がったのである。
平成18年3月吉日
北斗市教育委員会
 
 

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