箱館高田屋嘉平衛資料館

高田屋嘉平衛の人生は、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』のモデルとなっている。

興味のある方にはおすすめの小説。昔の箱館の描写もなかなか素晴らしい。(と個人的に感じました。)


箱館高田屋嘉平衛資料館

2001年10月15日撮影。


箱館高田屋嘉平衛資料館

2001年10月15日撮影。


資料館前の説明板の内容は次のとおり。


高田屋嘉平衛

江戸時代末期の豪商、回漕業者、高田屋嘉平衛は明和6年(1769年)淡路島に生れた。28才のとき、北前船「辰悦丸」で箱館(函館)に来航、以後、箱館を本拠地として北洋漁業の開拓、本州各地との交易の発展に尽力した。幕府はその功績を認め寛政12年(1800年)嘉平衛に苗字帯刀を許した。当時の寒村箱館が港として発展できたのは嘉平衛の力によるところが大きい。

更に嘉平衛は、いわゆるゴローニン事件解決の立役者であった。1812年ロシアの海軍将官ゴローニンが北方領土侵犯の疑いにより捕らえられたとき、ロシヤは報復としてエトロフ島回航中の嘉平衛を捕え投獄した。嘉平衛は少しも臆せず、国土劫掠の非を難じ、両国融和の道を説いた。ロシヤは嘉平衛の勇気に感服し謝罪した。嘉平衛は箱館奉行に懇請しゴローニンを釈放させ、以後両国の平和友好が促進された。幕府は円満解決の功績を称え賞詞を与えた。

文政10年(1827年)波乱とロマンにみちた59才の生涯を閉じた。


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