吉良邸跡

両国の京葉道路沿い、本所警察署を過ぎた辺りに忠臣蔵で有名な吉良邸跡を示す標識が設置されている。

実は以前に免許証の住所変更のため本所警察署を訪ねた際に見つけていたもの。そのときには吉良邸跡に寄ることができなかった。

吉良邸跡案内板

2011年3月6日撮影。吉良邸跡まで約100mを示す案内板。内容は以下のとおり。

吉良邸跡

ここから、約百メートル先になまこ壁に囲まれた東京都指定史跡「吉良邸跡」があります。元禄15年(1702)12月14日、赤穂四十七士が討入ったところで、「忠臣蔵」で知られるところです。

現在、吉良邸跡は墨田区の本所松坂町公園として保存されています。昭和9年(1934)地元両国三丁目町会有志が発起人になって、邸内の「吉良の首洗い井戸」を中心に土地を購入し、同年3月に東京市に寄付し貴重な旧跡が維持され、昭和25年(1950)9月に墨田区に移管されました。

毎年12月14日、義士討入りの日には、両国連合町会主催の「義士祭」、12月の第2または第3土曜日・日曜日には両国3丁目松坂睦主催の「吉良祭」や地元諸問屋出店の「元禄市」が開催され、大変な賑わいを見せます。

吉良邸跡保存会

標識に従って進み入ると、住宅地の一角にひっそりとした吉良邸跡が現れる。

吉良邸跡

2011年3月6日撮影。住宅地の一角にある吉良邸跡。本所松坂町公園として整備されている。

墨田区の説明板の内容は次のとおり。

本所松坂町公園由来

所在地 墨田区両国3丁目13番9号

面積 97.56平方メートル

この公園は「忠臣蔵」で広く知られる、赤穂義士の討入があった、吉良上野介義央の上屋敷跡です。

その昔、吉良邸は松坂町1、2丁目(現、両国2、3丁目)のうち約8,400平方メートルを占める広大な屋敷でしたが、年を経て一般民家が建ちならび、いまではそのおもかげもありません。

昭和9年3月地元町会の有志が、遺跡を後生に伝えようと、旧邸跡の一画を購入し史蹟公園として、東京市に寄付したもので、昭和25年9月墨田区に移管されました。

周囲の石壁は、江戸時代における高家の格式をあらわす海鼠壁長屋門を模した造りで、園内には、元吉良邸にあった著名な井戸や稲荷社などの遺蹟があり当時をしのばせております。また内部の壁面には義士関係の記録や絵画が銅板で展示されております。

墨田区

吉良邸跡なまこ壁

2011年3月6日撮影。なまこ壁。

吉良邸跡なまこ壁

2011年3月6日撮影。

吉良邸跡碑

2011年3月6日撮影。「赤穂義士遺蹟 吉良邸跡」の碑。

吉良邸跡内部

2011年3月6日撮影。吉良邸跡内部。なまこ壁面には、資料が展示されている。

吉良上野介義央像

2011年3月6日撮影。吉良上野介義央の像。入ってすぐ正面にあるため、結構驚かされる。

吉良邸跡内部案内板

2011年3月6日撮影。吉良邸跡内部に設置された説明板。内容は以下のとおり。

吉良邸跡

吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西73間、南北35間で、面積は約2550坪(約8400平方メートル)だったとされています。現在、吉良邸跡として残されている本所松坂町公園は、当時の86分の1の大きさに過ぎません。

吉良上野介が隠居したのは元禄14年(1701)3月の刃傷事件の数ヶ月後で、幕府は呉服橋門内にあった吉良家の屋敷を召し上げ、代わりにこの本所二ツ目に新邸を与えています。討入りは翌元禄15年12月14日ですから、1年半に満たない居住でした。

園内には、吉良上野介の首を洗った井戸を再現したり、吉良上野介を祀った稲荷神社が残されています。

吉良邸跡内部

2011年3月6日撮影。吉良家、家臣二十士碑。

吉良上野介義央公

2011年3月6日撮影。「追慕 吉良上野介義央公」碑。

松坂稲荷大明神

2011年3月6日撮影。松坂稲荷大明神。説明板に書かれた由来は以下のとおり。

松坂稲荷大明神由来

『松坂稲荷』は「兼春稲荷」と「上野稲荷」の二社を合祀したものです。「兼春稲荷」は徳川氏入国後、現今の社地たる松坂町方面に御竹蔵を置かれし当時、其の水門内に鎮座せしもので元禄15年の赤穂浪士討入り後、吉良邸跡へ地所清めのために遷官され、昭和10年に既存の「上野稲荷」と合祀され、当本所松坂町公園開園とともに当所に遷座されました。

墨田区文化観光協会