榎本軍鷲ノ木上陸地跡

幕末、榎本武揚率いる艦隊が上陸したのが鷲の木村。現在の森町鷲ノ木。

榎本軍鷲ノ木上陸地跡

2007年3月3日撮影。とても静かな場所。箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑が立つ。

榎本軍鷲ノ木上陸地跡

2007年3月3日撮影。

榎本軍鷲ノ木上陸地跡

2007年3月3日撮影。森町教育委員会設置の説明板の内容は以下のとおり。

榎本軍鷲ノ木上陸地跡

明治元年(1868)旧10月20日、噴火湾中央部の鷲ノ木村に榎本武揚(徳川旧臣)率いる艦隊が上陸しました。上陸時の鷲ノ木は、積雪30cm、北西の強風で波は荒れ(タバ風)、暴風雪であったといわれる。

榎本艦隊は、旗艦開陽丸ほか7艦(回天・蟠龍・長鯨・神速・鳳凰・回春・大江)で、このときの人員は、榎本をはじめ松平太郎、大鳥圭介、土方歳三、古屋佐久左衛門ら2千人以上と言われ、上陸したのは主に陸兵でした。

当時の鷲ノ木村は戸数約150、人口約800で茅部街道の要所でもあり、箱館への交通も開けていました。

21日、人見勝太郎以下32名の先発隊が峠下村(現七飯町)で待ちかまえていた官軍と撃戦となり、箱館戦争へと展開していくことになります。開戦とともに鷲ノ木村は榎本軍の後方陣地となり、高森台場(現東森)、石川原沢口台場(現富士見町)、湯ノ崎台場(現鷲ノ木)などが構築されました。

こうして、明治2年5月の、箱館戦争終結までは負傷者や病人達の療養地となり、また戦死者は、霊鷲院に手厚く葬られました。

今も鷲ノ木の墓地には榎本軍戦死者たちが眠っており、史跡公園内には上陸記念碑や慰霊碑などがあります。

平成2年7月30日

森町教育委員会