四稜郭

五稜郭と比較して知名度はかなり低い四稜郭。五稜郭同様箱館戦争の舞台となった場所。2008年訪問。

四稜郭

2008年6月15日撮影。なかなか場所もわかりにくいが、この標識が目印。

四稜郭

2008年6月15日撮影。駐車場。

四稜郭

2008年6月15日撮影。土塁。

四稜郭

2008年6月15日撮影。説明板の内容は以下のとおり。

史跡 四稜郭

昭和9年1月22日史跡指定

明治2年(1869)春、五稜郭にたてこもる旧幕府脱走軍は新政府軍の攻撃に備えて各地に防御陣地を築いたが、五稜郭の背後を固めるため、その北方約3キロの緩斜面台地にも洋式の台場を急造した。

これが四稜郭である。

四稜郭は、蝶が羽を広げたような形の稜堡で、周囲に土塁と空壕をめぐらし、郭内(面積約2,300平方メートル)には、四隅に砲座を設けたが、建物は造らなかった。

なお、地元の言い伝えによると、旧幕府脱走軍は士卒約200名と付近の村民(赤川・神山・鍛冶村)約100名を動員して、昼夜兼行で数日のうちにこの四稜郭を完成させたといわれている。

明治2年5月11日、新政府軍は箱館総攻撃を開始した。

同日未明、新政府軍の岡山藩・徳山藩の藩兵は赤川村を出発し、四稜郭の攻撃を開始した。松岡四郎次郎率いる旧幕府脱走軍は四稜郭の防御に努めたが、新政府軍には福山藩兵も加わり、さらに長州藩兵が四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領したため、退路を断たれることを恐れた旧幕府脱走軍は五稜郭へと敗走した。

5月18日には、五稜郭が開城され、榎本武揚以下が降伏して箱館戦争は終わった。

函館市

文部省

四稜郭

2008年6月15日撮影。四稜郭の柱碑。

四稜郭

2008年6月15日撮影。四稜郭内部からの土塁。

四稜郭

2008年6月15日撮影。

函館市教育委員会による保存に係る注意説明は以下のとおり。

史跡四稜郭の保存について

旧幕府脱走軍の降伏という形で箱館戦争が終結した後、四稜郭はかなり荒廃がすすんでいました。しかし、昭和9年に史跡に指定されて以来、地元の人たちをはじめ、市民の手厚い保護を受けて、今日までその原形を保つことができました。

函館市では、この史跡保存に万全を期すため、昭和44年度から47年度にかけて、国・道の補助を受け、土塁の修復等の環境整備工事を実施したところですが、さらに平成2年度において、あずまや等の施設を設置し、この史跡を歴史学習や市民の憩いの場として、広く利用していただけるよう整備いたしました。

この貴重な国民的財産である史跡を私たちの手で保存し、後世に伝え残していくために、次のことを守ってください。

一、土塁等に登らないこと

一、木の枝を折ったり、芝生をいためたりしないこと

一、自転車、バイク、自動車等を乗り入れないこと

一、火気を使用しないこと

一、ゴミは捨てないで持ち帰ること

函館市教育委員会