北斗市(旧大野町)にある八郎沼公園。牛の引用水を溜める池から始まっているとのこと。
2008年8月16日撮影。
2008年8月16日撮影。
2008年7月26日撮影。函館市設置の観光標識の内容は次のとおり。
旧東照宮と権現台場跡(ごんげんだいばあと)東照宮は、元治元年(1864年)五稜郭が完成した時、その鬼門(東北)の守護神とするため、日光東照宮から分霊奉造を受けた日高様似の等澍院から東照大権現を分霊して、上山村(現市内神山町)に建てたのが始まりである。明治元年(1868年)五稜郭を占拠した旧幕府脱走軍は翌2年五稜郭北面守備のため四稜郭を急造、さらに五稜郭との重要な結節点にあたる東照宮に砲台(権現台場といわれている。)を設けた。しかし、同年この砲台は新政府軍の攻撃を受け、東照宮も社殿を焼失した。東照宮は、その後、箱館の天祐庵(現在の青柳町天祐寺)など転々としたが、明治12年(1879年)宝来町に移り、平成3年(1990年)に陣川町に移転した。この大鳥居は、五稜郭や弁天台場の石垣造りを担当した石工井上喜三郎の作で、箱館戦争の砲火にも壊されずこの地に残った。函館市
2008年7月26日撮影。函館市内神山地区の由緒が記された開基三百年記念碑。碑の内容は次のとおり。
礎
貞享元年(1684年)この神山の地に七戸の人佐四郎が鍬を入れて以来開拓に精進された多くの先達の労苦に感謝し神山永久の繁栄を願いここに記念の碑を建立する
昭和60年5月 神山開基三百年記念協賛会 会長 長崎喜久夫
2008年7月26日撮影。北斗市、トラピスト修道院へ続く一本道。
2008年7月26日撮影。トラピスト修道院前の原っぱ。冬は一面、雪野原となる。
2008年7月26日撮影。トラピスト修道院前からの眺め。並木道の先に津軽海峡が見える。
2008年7月26日撮影。トラピスト修道院を正面から。
修道院の由来、沿革が記された看板の内容は以下のとおり。
トラピスト修道院の由来正式名は、厳律シトー会灯台の聖母大修道院という。明治29年(1896年)フランスから数名の修道士たちが木造の修道院を建てた。日本で、最初の男子修道院であります。トラピストの生活は、祈り、労働、読書(聖なる書物)で、その1日は、祈りにより始まり祈りによって終わります。創立以来、畑の開拓、農耕、牧畜、酪農に力をいれ、ホルスタイン乳牛の輸入をし、その普及は北海道の酪農振興に多大な貢献をいたしました。明治36年、木造の修道院は焼失した。現在の二階建本館は、明治40年着手し翌年完成しております。また聖堂は昭和49年に建てられたものです。トラピストでつくられるバタークッキーは今では北海道を代表する特産品として全国的に広がり、上磯町が誇る一村一品であります。日々、たえることなく鳴りひびくアンジェラスの鐘、黙々と祈りと労働を持って神に仕える修道士の姿、ここには異国にみる聖地の情景があり訪れる人々の心を和らげます。
トラピスト修道院の沿革明治29年(1896年)にフランスから数名の修道士が来日して、津軽海峡を眼下に臨む当地にトラピスト修道院を設立しましたが、トラピストの歴史は古く、その起源は11世紀にまでさかのぼります。聖ロベルト(1018年〜1111年)は、現在のフランス・シトーの地に新修道院を創設し(1098年)、ここからシトー修道会が生まれました。そして、1664年、シトー修道会に属するトラップ修道院(フランス)で、より厳格な生活を望む改革運動が起こり、この流れを汲むものをトラピストと呼ぶようになりました。トラピスト修道院はカトリック教会に属し、日本国内には七つの修道院(その内五つは女子でトラピスチヌとして知られています)を持ち、国外には137の修道院(その内、50は女子)があります。聖書の教えと、聖ベネディクト(480年〜547年)の修道戒律に従い、「祈り・労働・聖なる読書」を中心とした観想生活を送っています。