「 台東区 」一覧

根津神社

根津神社

相当な由緒がある根津神社。徳川将軍家とのつながりも深い。 2012年2月19日撮影。   文京区教育委員会による説明板の内容は次のとおり。 根津神社 国指定建造物 文京区根津1-28-9 日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川...

赤穂浪士ゆかりの寺〜観音寺〜

赤穂浪士ゆかりの寺〜観音寺〜

この寺は、もともと長福寺と称されていたが、享保元年(1716年)に現在の観音寺に改称したとのこと。本堂右手には赤穂浪士慰霊塔と伝わる塔が残されている。 2012年2月19日撮影。   台東区教育委員会による説明板の内容は次のとおり。 赤穂浪士ゆかりの寺 台東区谷中5丁目8番28号 観音寺 赤穂浪士の吉良邸討入りは「忠臣蔵」の題材として、広く世に知られている。 47士に...

谷中ぎんざ商店街

谷中ぎんざ商店街

都内で最も活気ある商店街の一つ。いつもたくさんの人で賑わっている。 興味深いのは、道行く人々の多くが「買い食い」をしていること。手に商店街で購入したコロッケなどをもち、食べながら気ままにブラブラできる。 そんな素敵な商店街。 「肉のすずき」前には、人気のメンチカツを求める行列ができていた。 行列に並び、苦労してゲットしたメンチカツ。並ぶ価値は、間違いなく「有る」。 商店街...

対鷗荘跡

対鷗荘跡

白鬚橋を渡ってすぐ台東区側に建てられているのが対鷗荘跡の説明板。 その横には、病に倒れた三条実美のもとを明治天皇が訪れたことを顕彰する碑が建てられている。 2011年11月13日撮影。対鷗荘跡の碑。 2011年11月13日撮影。明治天皇が対鷗荘の実美を訪れたことを記念する碑。 台東区教育委員会の説明は以下のとおり。 対鷗荘跡(たいおうそうあと) 台東区橋場2丁目...

桜橋

桜橋

隅田公園において、墨田区と台東区を結ぶ歩行者専用の桜橋。両区は昭和52年に姉妹区協定を締結し、その記念事業として昭和60年に完成した。 2011年9月23日撮影。墨田区側から台東区側を見る。   2011年9月23日撮影。逆に墨田区側を見る。 2011年9月23日撮影。桜橋上からの隅田川。 桜橋手前の散策解説板の内容は次のとおり。 隅田公園 散策解説板5 桜橋...

浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その4〜

浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その4〜

女性の守り神とされる淡島明神を祀った淡島堂。 2011年8月7日撮影。   2011年8月7日撮影。台東区教育委員会による説明は次のとおり。 淡島堂(あわしまどう) 台東区浅草2丁目3番 浅草寺 淡島堂は、元禄年間(1688〜1703)紀伊国(現在の和歌山県)の加太神社を勧請したものである。加太神社は、淡島と呼ぶ小島に鎮座し、淡島明神の俗称があるため、この堂も淡島堂と呼ばれ...

浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その3〜

浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その3〜

江戸時代前期に活躍した歌人戸田茂睡の墓。 2011年8月7日撮影。都教委設置の説明板の内容は次のとおり。 都旧跡 戸田茂睡墓 所在 台東区浅草2丁目7番31号 浅草寺奥山庭苑内 指定 大正8年10月 元禄時代の歌人。はじめは渡辺氏を称し、のち戸田茂睡に改めた。名は馮、後に恭光、通称は茂右衛門。露寒軒などと号していた。徳川氏の家臣渡辺忠の第六男として、寛永6年(1629)5月1...

浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その2〜

浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その2〜

浅草寺本堂向かって左側、注意していなければ見逃してしまいそうな、小さな石の橋がある。なんと、現存する都内最古の石橋らしい。ちなみに「いしばし」ではなくて「しゃっきょう」とのこと。 2011年8月7日撮影。浅草寺による説明板の内容は以下のとおり。 石橋(しゃっきょう) 現存する都内最古とされるこの石橋は、元和4年(1618)浅草寺に東照宮(現存せず)が造営された際、参詣のための神橋とし...

浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その1〜

浅草寺境内の諸碑・旧跡〜その1〜

浅草寺境内にはたくさんの碑や名所が残されており、ほとんどに浅草寺による説明板が設置されている。以下、目に付いたものを紹介させていただく。 本堂に向かって左側に建てられた大きな石柱。「迷子しるべ石」といい、迷子が出たときにそれを知らせる役目を負っていたらしい。それ以外にも貼り紙による情報交換に活用されていたとのことで、江戸の人通りの多いところに建てられたものの一つが、ここ浅草寺に残るものである。 ...

五重塔@浅草寺

五重塔@浅草寺

浅草寺本堂へ向かい宝蔵門を抜けたすぐ左手に五重塔がそびえる。昭和48年に再建された、赤が鮮やかな塔である。 浅草寺の五重塔、そもそもの始めは天慶5年(942)にまでさかのぼるとのこと。また、戦前までの塔は現在の位置とは反対側の、本堂向かって右側にあったらしい。 浅草寺の説明板によると塔内は非公開とのことであるが、浅草寺の公式サイトに五重塔内の写真がいくつか掲載されているのでご参照されたい。なお...