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元町配水場(2008年)

2010/08/22 函館市 kiichi.murata

元町配水場(2008年)

国内では横浜に次ぐ古い近代水道。さらに、日本人の設計・工事によるものとしては国内最古の施設である。

2008年7月21日撮影。

元町配水場に関する函館市設置の観光標識の内容は以下のとおり。

函館の上水道
函館の水道は、明治22年(1889年)に完成した日本で二番目の近代水道である。日本最初の水道は横浜で、これは外国人の設計監督により明治20年(1887年)に完成した。日本人の工事監督によるものとしては、函館の水道が日本で最初のものであり全国的に有名である。函館は昔から水利の便が悪く、また津軽海峡に突き出た地形のため年間を通して風が強く、火災が発生するとたちまち大火となり、多くの犠牲者が(…続きを読む)

高田屋嘉兵衛銅像(2008年)

2010/08/16 函館市 kiichi.murata

高田屋嘉兵衛銅像(2008年)

2008年7月21日撮影。函館の発展に多大な貢献をした高田屋嘉兵衛の銅像。司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の主人公としても描かれた。

函館市設置の観光標識の内容は以下のとおり。

高田屋嘉兵衛銅像
この銅像は、嘉兵衛の功績を称えるとともに、箱館開港100年を記念して昭和33(1958)年に建てられた。制作著は函館出身の彫刻家、梁川剛一である。 嘉兵衛は明和6(1769)年に淡路島に生まれ、28歳のとき箱館に渡った。文政元(1818)年に故郷に帰るまで、箱館を基地として造船・海運業・漁場経営などを手がけ、国後島・択捉島の航路や漁場を開発し、函館発展の基礎を築き、大きな業績を残した。 さらに、ゴ(…続きを読む)

護国神社坂(2008年)

2010/08/16 函館市 kiichi.murata

護国神社坂(2008年)

2008年7月21日撮影。護国神社坂。植栽もきれいに整備されており、正面に護国神社の鳥居が見える。

坂の案内板の内容は以下のとおり。

護国神社坂(ごこくじんじゃざか)
別名「汐見坂」ともいい、昔は「招魂社の坂」とも「倒産坂」ともいった。汐見坂は坂上に汐見町ができ、その町名からとったもの。招魂社の坂は明治2年(1869年)に建立された招魂社(現護国神社)に登る坂ということから呼ばれ、現在の名になった。倒産坂は坂に面して門を立てると罰が当たって”かまど”がつぶれるといわれ,昔は門を坂に面しないようにした。
GOKOKUJINJA ZAKA SLOPE
Another name for t(…続きを読む)

立待岬(2008年)

2010/08/7 函館市 kiichi.murata

立待岬(2008年)

2008年7月12日撮影。立待岬の碑。
函館山の下を進み、谷地頭を抜け、お墓を通り過ぎると立待岬。

2008年7月12日撮影。

2008年7月12日撮影。

函館市設置の観光標識の内容は以下のとおり。

この地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せするところ、すなわち、ここで魚を獲ろうと立って待つ)に困むという。18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、警備のため、ここに台場が築かれたことがあった。また、第二次世界大戦中は、要塞地帯法により市民は立ち入りを禁じられていた。現在は、津軽海峡を望む景勝地として、多くの観光客が訪れている。近くには石川啄木一族の基や与謝野寛、晶子の歌碑もある。   (…続きを読む)

函館大火慰霊堂、慰霊塔

2010/08/1 函館市 kiichi.murata

函館大火慰霊堂、慰霊塔

函館大火慰霊堂は、大森公園内に昭和13(1938)年に完成。
昭和9年の函館大火の際、この慰霊堂の横を流れる亀田川において多くの凍死者、溺死者を出している。

2008年7月6日撮影。

2008年7月6日撮影。

2008年7月6日撮影。

2008年7月6日撮影。

2008年7月6日撮影。

2008年7月6日撮影。

記念塔の板碑に刻まれている内容は以下のとおり。

函館大火災惨害記念塔建立由来
「昭和9年(1934年)3月21日夕刻に住吉町より発生した火災は、史上稀にみる烈風に煽られ市街地は一夜にして焼土と化し、その罹災者は約10万2千人を数える大惨事となり、死者行方不明(…続きを読む)

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