多聞寺の狸塚

多聞寺境内に入ると、狸の像があちこちに置かれていることに気付かされる。江戸時代より少し前、この地には妖怪狸がいて、村人に悪さをしていたとか。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。多聞寺境内の狸の像。かなり古いものらしく、全身に苔が生えている。一見、狐のようにも見えるが、腹回りの豊かさから狸ということが、なんとなくわかる。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。狸塚。由来がとても面白い。由来に登場する毒蛇はマムシのことだろうか?

 

由来が書かれた説明板の内容は以下のとおり。

 

狸塚のいわれ

むかし、江戸幕府が開かれる少し前、今の多聞寺のあたりは隅田川の河原の中で草木が生い茂るとても寂しいところでした。大きな池があり、そこにはひとたび見るだけで気を失い、何か月も寝込んでしまうという毒蛇がひそんでいました。また、「牛松」と呼ばれるおとなが五人でかかえるほどの松の大木がありました。この松の根元には大きな穴があり、妖怪狸がすみつき人々をたぶらかしていたのです。そこで、鑁海和尚と村人たちは、人も寄りつくことができないような恐ろしいこの場所に、お堂を建てて妖怪たちを追いはらうことにしました。まず、「牛松」を切り倒し、穴をふさぎ、池をうめてしまいました。するとどうでしょう、大地がとどろき、空から土が降ってきたり、いたずらはひどくなるばかりです。ある晩のことでした。和尚さんの夢の中に、天までとどくような大入道があらわれて、

「おい、ここはわしのものじゃ、さっさと出て行け、さもないと、村人を食ってしまうぞ。」 

と、おどかすのでした。和尚さんはびっくりして、一心にご本尊さまを拝みました。やがて、ご本尊毘沙門天のお使いが現れて妖怪狸に話しました。

「おまえの悪行は、いつかおまえをほろぼすことになるぞ。」

次の朝、二匹の狸がお堂の前で死んでいました。これを見つけた和尚さんと村人たちは、狸がかわいそうになりました。そして、切り倒してしまった松や、埋めてしまった池への供養のためにもと塚を築いたのでした。この塚はいつしか「狸塚」と呼ばれるようになりました。

 

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多聞寺の境内と本堂

隅田川七福神の一つとして毘沙門天を祀る多聞寺。本尊の毘沙門天像は空海の作と伝わっているとのこと。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。多聞寺正面入り口石柱。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。正面駐車場と山門。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。山門から境内へ。左側には狸塚。右側には六地蔵。そして正面が本堂。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。本堂前から振り返っての山門。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。多聞寺本堂。

 

隅田川七福神コース案内板に記載されていた多聞寺の由緒は以下のとおり。

 

多聞寺 毘沙門天

多聞寺はその昔、墨田堤お外側、水神森近くにあったが、四百年ほど前、徳川氏が江戸に移った直後、今の場所に移された。本尊の毘沙門天は、弘法大師の作と伝えられる。

毘沙門天は佛法の守護神のひとりで、世界の中心に聳える須弥山の北方を厳然として守っていたとされる。またの名を多聞天とも申し上げる。しかし、その反面、三界に余るほどの財宝を保有していて、善行を施した人びとには、それを分け与えたといわれる。強い威力を持つ一方で富裕でもあるという神格が、福徳の理想として、七福神に含められ、信仰された理由である。

 

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多聞寺の山門

隅田川七福神の一つ多聞寺。東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅と堀切駅の中間辺りに位置している。

周辺は下町風情の残る住宅街。境内はきれいに整備されている。

狸塚に係るエピソードなどは、現在の状況からは想像できないこの付近の当時の様子を示しており、興味深い。

立派な山門は、江戸時代中期の作とのこと。現存する墨田区内最古の建造物らしい。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。多聞寺の山門。江戸中期の作。墨田区内では最古の建造物。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。

 

多聞寺

2011年7月3日撮影。

 

墨田区教育委員会と多聞寺による山門の説明は以下のとおり。

 

<墨田区指定文化財>

多聞寺山門

所在地 墨田区墨田5丁目31番 多聞寺内

多聞寺の山門は江戸中期に造られた区内最古の建造物です。

切妻造の四脚門で、現在では珍しくなった茅葺の屋根を持ちます。全体的には簡素な和様の造りで、控柱などに禅宗様の手法も見られます。虹梁・木鼻に刻まれた線の太さや深さ、素朴な文様は18世紀を降らない建造を感じさせます。

慶安2年(1649)に建立された山門ですがその後焼失しました。過去帳には「享和三亥年二月酉ノ上刻出火、本堂、鐘楼、五智堂、庫裏、焼失四棟也、表門ハ不焼」とあり、この火災で焼失を免れたことから、遅くとも享和3年(1803)までには再建されていたことになります。

墨田区は震災や戦災で多くの木造建築が失われてきました。こうした中で、多聞寺山門が現存することは、貴重であり、周辺の意匠との関連や相違を検討するうえでも重要な建造物といえます。

平成17年3月

墨田区教育委員会

 

 

多聞寺の山門

山門中央の「隅田山」と記された山号額の裏に「明和九年」(1772年)と彫られており、現存する墨田区内最古の建造物として区登録有形文化財とされています。

屋根を支える本柱の前後に2本ずつの控柱をもつところから四足門または四脚門と呼ばれる形式の門です。一部には朱と思われる痕跡があり、建立当初は朱塗り瓦葺きであったことが察せられます。その後、享和3年(1803年)の火災、安政2年(1855年)の大地震などの被害を受け、後に茅葺にされたものと思われます。その後もこの門は、排仏毀釈、関東大震災、15年戦争などの天災と人災の歴史をくぐり抜け、娑婆(人間自身が作り出した苦しみの世界)の人々の営みを見据えてきました。

これからも、安楽を願う人々を見守ってくれるでしょう。

隅田山 多聞寺

 

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