鐘ヶ淵の由来

墨堤通りを歩いていると、鐘淵中学校の前に鐘ヶ淵の由来が記載された説明板が設置されていた。

隅田川のかたちが指矩の形に似ていたことに由来するらしい。その後、鐘にまつわる多くの伝説が生まれたとのこと。

 

鐘ヶ淵

2011年7月3日撮影。鐘淵中学校の前。

 

鐘ヶ淵

2011年7月3日撮影。説明板。内容は以下のとおり。

 

「鐘ヶ淵」の由来

江戸時代に、うぐいすの名所として知られた鐘ヶ淵は、隅田川のうち、現在の区立鐘淵中学校のある堤通2丁目地先をさす名称です。

その地名の起りは、隅田川がこの辺で直角に曲り、それが大工の使う指矩(さしがね)に似ているところから「かねが淵」と呼ばれるようになったことによります。

なお、ここは綾瀬川が合流することもあり、昔の舟人からは航路の難所として恐れられ、とくにその名が高くなった所です。

後世、この名称からさまざまな伝説が生まれ、たとえば台東区の石浜にあった普門院が亀戸村に移転する際その梵鐘(ぼんしょう)が川に落ち、今にいたるまで引き揚げられずに沈んでいるという話や、その寺を石浜の法源寺(現 保元寺)といい、あるいは橋場の長昌寺とも称し、またある将軍が家臣を水中に潜らせて、その鐘を見とどけさせたなどという話などが伝えられています。

やがて明治の世となり、この周辺の開発が進むと、ここに紡績工場が建てられて、社名を鐘ヶ淵紡績株式会社と称したことから後に鐘紡の名で知られるようになりましたが、昭和44年に鐘紡も閉鎖され、しだいに現今のような景観に変わってきました。

昭和58年3月

墨田区

 

 

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鐘ヶ淵駅周辺散歩

鐘ヶ淵駅周辺を散歩。最寄り駅の東向島駅の次の駅であるため、歩いても10分程度の距離。

線路が高架ではなく踏切であるため、人の滞留があり混雑している。

 

鐘ヶ淵駅

2011年7月2日撮影。東口が浅草方面。地下通路でも繋がっている。

 

鐘ヶ淵駅

2011年7月2日撮影。駅横の福松。串焼きを持ち帰りで購入する人が多い。注文後焼きはじめ、できあがりまで10分前後。

 

鐘ヶ淵駅

2011年7月2日撮影。鐘ヶ淵駅前商店街の入り口。

 

鐘ヶ淵駅

2011年7月2日撮影。趣のある建物が多い。

 

鐘ヶ淵駅

2011年7月2日撮影。夕方の商店街の様子。

 

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古代東海道

東武線鐘ヶ淵駅。かつて古代東海道と呼ばれる官道が通っており、多くの往来者で賑わっていたらしい。

現在も付近に住む人々、鉄道や自動車などせわしく行き交っている。

 

古代東海道

2011年7月2日撮影。鐘ヶ淵駅前交番。この道がかつての官道と重なるらしい。

 

古代東海道

2011年7月2日撮影。頻繁に遮断機がおりるため、往来が集中する踏切。

 

古代東海道

2011年7月2日撮影。古代東海道は、現在の位置関係にあわせると、交番の横から踏み切りを越えてセブンイレブンの横へ抜けるようなイメージ。

 

駅前に設置された墨田区教育委員会の説明板の内容は以下のとおり。

 

武蔵・下総を結んだ古代東海道

所在地 墨田区墨田2丁目〜4丁目

東武線鐘ヶ淵駅の付近には、武蔵国と下総国を結ぶ古代の官道がありました。古代東海道と呼ばれるこの街道は、現在の墨田区北部を東西に貫き、京の都から常総方面に至る幹線道路として多くの人々に利用されたと考えられます。

官道に定められた年代は、9〜10世紀と想定されます。『大日本地名辞書』に「隅田村より立石、奥戸を経、中小岩に至り、下総府へ達する一径あり、今も直条糸の如く、古駅路のむかし偲ばる」と記されるように、明治13年(1880)の地図からは、古代の官道の特徴を示す直線道を見出すことができます。また、この道筋には大道や立石など古代の官道跡に見出される地名が墨田区墨田・葛飾区四ツ木(大道)、江戸川区小岩(大道下)に確認できます。また葛飾区立石には、古代の標石に使用されたと考えられている立石様が残っています。これらは古代東海道の名残を示すものといえます。

鐘ヶ淵駅から西に進むと隅田川に至ります。江戸時代より前の時代、隅田川を渡るには船がおもな交通手段でした。承和2年(835)の太政官符で渡船の数を2艘から4艘にしたことは、隅田川を往来する人々の増加を物語っています。その行程をたどるのが『伊勢物語』東下りの場面です。在原業平が「名にしほはゝいざ事とはむ宮こ鳥わがおもふ人はありやなしやと」と詠ったとされる場所は、古代東海道をつなぐ渡であったのです。

平成23年3月

墨田区教育委員会

 

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