匠の森公園ではカタクリの花が見頃。「春の妖精」とは言い得て妙也。
2012年4月29日撮影。
冬眠から目覚め、熊も活動を開始している様子。
谷中銀座を日暮里駅方向に進み、階段を上ったところにあるのが経王寺。幕末の動乱の痕を残している。
写真は2012年2月19日撮影。
荒川区教育委員会による説明は以下のとおり。
大黒天経王寺
経王寺は日蓮宗の寺院で山号を大黒山と称す。明暦元年(1655)、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が要詮院日慶のために寺地を寄進し、堂宇を建立したことに始まるという。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られており、地域の人々の崇敬を広くあつめている。
慶応4年(1868)の上野戦争のたき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。
荒川区教育委員会
荒川区指定文化財 経王寺山門 付門
天保7年(1836)に、桶屋安五郎らが願主となり建立された。切妻造、桟瓦葺、総欅造の薬医門で、脇に瓦屋根付きの板掘と潜り戸を設け、西側には門番所が連結される。間口寸法(親柱間)10尺9寸、奥行寸法(親柱・控柱間)7尺6寸と、堂々とした規模をもち、脇に付設された門番所と併せて日暮里の寺町地区を象徴する「辻」の景観を形成する貴重な建造物である。また、慶応4年(1868)の上野戦争の際のものと伝えられる弾痕が残っており、地域の歩んだ歴史も刻まれている。
外国人墓地を抜けた先にある函館検疫所事務所。
函館、横浜、神戸、下関、長崎、新潟、これら主要な6つの港に、日本初の消毒所が建設され、函館はこの場所に建てられていたとのこと。今残る建物は事務所として使用されていたもの。
写真は2012年4月22日撮影。函館市設置の観光標識の内容は次のとおり。
函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡
明治18年(1885年)、内務省は防疫体制の強化を図るため、当時の主要6港(函館、横浜、神戸、下関、長崎、新潟)に日本で最初の常設消毒所を建設しました。函館では現在地に施設が建てられ、唯一残ったこの建物は事務所として使用されたものです。
明治29年(1896年)3月、函館検疫所と改称され業務をおこなってきましたが、特に昭和20年(1945年)には、敗戦により樺太方面などからの引揚者の検疫にあたり、医療や援護にと活躍しました。
昭和43年(1968年)、検疫所は市内海岸町に落成した港湾合同庁舎内に移転し、平成4年にこの施設も廃止されました。
施設の中で唯一残ったこの事務所は、全国的にも数少ない初期港湾施設の遺構として、平成元年に市の景観形成指定建築物となっています。
函館市
THE HAKODATE QUARANTINE OFFICE IN DAI-MACHI (FORMER HAKODATE DISINFECTIONS OFFICE)
In order to strengthen the epidemic preventative measures, in 1885, the Interior Ministry established disinfections facilities in the following major trading ports; Hakodate, Niigata, Yokohama, Kobe, Shimonoseki and Nagasaki. This is where the facility was built in Hakodate. The only remaining building on the site was used as its main office.
It was renamed as the Hakodate Quarantine Office in March of 1896. Especially during the period following the end of the Second World War in 1945, it played an important role in the medical treatment and support of repatriates to Japan from Sakhalin.
The Hakodate Quarantine Office was annexed to the Joint Government Port Building in Kaigan-cho in 1968, and the facility here was demised altogether in 1992.
The building was designnated as a historical building by the City of Hakodate in 1989 and represents as one of the few remnants of early port facility architecture in Japan.
CITY OF HAKODATE