『寛文拾年狄蜂起集書』に現れる北斗市地名

寛文九年の『津軽一統志』、その翌年の史料『寛文拾年狄蜂起集書』にも『津軽一統志』と同じ地名が現れる。

一、三ツ石 同断
一、とうへつ 間小川有 但能キ間之由
一、とう別崎
一、もへつ 家拾間計 川有 狄おとな あいにしこ
一、すゝほつけ ちこ内より一里 家五六間
一、ヤけ内 すゝほっけより壱里 小川有 天神やしろ有
一、壱本木 家七間計 川有 狄おとなやくいん
一、へきれち やけ内より三里 川 狄有 家廿間計 おとな本あミ 是より山中とち崎出ル道ノ間拾六里程
一、あるか 川有リ

『寛文拾年狄蜂起集書』は、

シャクシャインの戦い後の松前城下や在々の状況を探るため、寛文十年(1670)、津軽藩より松前へ派遣された則田安右衛門ほか一名が、その地で見聞した事項を事細かに藩庁に報告したものである。

とのこと(海保嶺夫翻刻・解説(1998)『北方史史料集成 第4巻』有限会社北海道出版企画センター p.227)。

なお、同書では茂別の狄乙名の箇所を「狄おとなあり にしこ」としているが「狄おとなあいにしこ」と読めるように思われ、一本木の箇所も「やゝいん」ではなく「やくいん」かと思われる。

寛文拾年狄蜂起集書

寛文拾年狄蜂起集書

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