函館市一覧

ペリー会見所跡

姿見坂を電車通りを越えて下るとペリー会見所跡の標柱がある。

 

ペリー会見所跡

2008年2月10日撮影。函館市設置の観光標識の内容は次のとおり。

 

ペリー会見所跡

安政元(1854)年3月、アメリカ海軍提督M.C.ペリーは、幕府との間に日米和親条約を締結し、その直後、5隻の艦船を引きつれて箱館に入港した。ペリーは、この地にあった有力商人山田屋寿兵衛宅で、松前藩家老松前勘解由らと会見し、市中の調査や、港内測量などを行って箱館を去った。

この図は、ペリー著「日本遠征記」の挿し絵のなかの一つで、会見の模様を描いたものである。

函館市

 

THE PLACE WHERE COMMODORE PERRY INTERVIEWED

In March 1854 Commodore Matthew C. Perry of the U.S. Navy concluded a peace and amity treaty with the Shogunate. Soon after this he visited Hakodate with his squadron of five ships. In Hakodate, Perry met with Matsumae Kageyu, the cheif retainer of the Matsumae clan and other officials at the house of Yamadaya Juhei, an influential merchant.

After looking around the city and surveying the harbor, they left Hakodate.

This illustration found in Perry’s “Expedition to Japan ( Nippon Enseiki ) ” shows what the meeting was like.

CITY OF HAKODATE


恵山岬灯台

ホテル恵風がある恵山岬。アクセスは旧椴法華村側からとなる。

灯台周辺には公園も整備されており、家族で楽しめる場所となっている。

 

恵山岬

2007年6月3日撮影。

 

 

恵山岬灯台

2007年6月3日撮影。

 

恵山岬灯台

初点 明治23年11月

改築 平成元年3月

 

恵山岬灯台

2007年6月3日撮影。説明板による灯台の解説は以下のとおり。(抜粋)

 

恵山岬灯台

〜どこからでも灯台〜

恵山岬灯台は、1890年(明治23年)に点灯しました。

この灯台は、灯台を一周する散歩道から見えるばかりではなく、裏のドウダンツツジの木々の間からも、少し先の道路を下ったところにある海へわきだす温泉に入りながらも、またうしろの活火山「恵山」に登ると噴煙の中からも、いろいろな見え方をする灯台です。

位置 北緯41度48分55秒 東経141度11分00秒

光り方 等明暗白光 明3秒 暗3秒

光の強さ 34万カンデラ

光の届く距離 18海里(約33キロメートル)

高さ 地上から灯台頂部 約19メートル  水面から灯火 44メートル

 

恵山岬灯台

2007年6月3日撮影。恵山岬の碑。書は旧椴法華村の鎌田村長。

 

平成5年11月

椴法華村長 鎌田作郎書

 

 


大船遺跡

縄文時代中期の大規模集落跡である大船遺跡。

旧南茅部町地区の小高い丘の上に位置している。

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。説明板の内容は以下のとおり。

 

ようこそ大船遺跡へ

大船遺跡は、今から5〜4千年前(縄文時代中期)の集落跡です。ここは、海の幸、豊かな噴火湾や、温泉の湧く大船川などの自然に恵まれ、縄文時代の人人の生活には最適な土地でした。

平成8年に調査を開始し、これまで100軒以上の竪穴住居、食料の貯蔵穴やお墓などの土坑60か所以上が見つかり、大きな縄文の集落であることがわかりました。

出土した遺物も非常に多く、クジラやマグロ、クリやヒエなど当時の食料も見つかっています。

現在は、雪や霜などで遺跡が崩れるのを防ぐため一時的に埋めもどし、代表的な住居だけを展示しています。どうぞ、ご自由に見学してください。

 

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。

 

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。説明板の内容は以下のとおり。

 

国指定史跡 大船遺跡

内容 縄文時代中期(約5〜4千年前)の集落跡

指定面積 71,832.03㎡

指定理由

大船遺跡は、推定千軒をこえる竪穴住居と盛土遺構、山側には貯蔵穴、北側の沢にはシカの落とし穴などが広がっています。

この遺跡は、深く掘り込んだ大型の竪穴住居が特徴です。日常用具のほか、クジラやオットセイの骨、炭化したクリなど、当時の食生活を知る貴重な遺物が出土しています。

指定年月日 平成13年8月13日 文部科学省告示第138号

 

 


五稜郭公園

今年の東京の桜は終わってしまったが、北海道ではこれからが本番。

道南ではゴールデンウィーク頃が見頃だろうか。

以下の写真は2007年に撮影した五稜郭公園。

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。正面の五稜郭タワーには鯉のぼりが泳ぐ。

 

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。

 

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。

 

 

武田斐三郎先生顕彰碑

2007年5月4日撮影。五稜郭公園内の「武田斐三郎先生顕彰碑」。五稜郭築城に貢献した人物。

 

函館市による説明文は以下のとおり。

 

五稜郭築城設計及び監督箱館奉行支配諸術調所教授役

武田斐三郎(たけだあやさぶろう)先生顕彰碑

五稜郭は我が国はじめての洋式築城で安政4年着工、7年の歳月を費して元治元年(1864)に竣功した。

のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争の本城となった。築城100年記念に当ってこの碑を建てた。

昭和39年(1964)7月18日 函館市

 

 

 

兵糧庫

2007年5月4日撮影。物資備蓄に用いられた兵糧庫。

 

市教委による説明は以下のとおり。

 

 

兵糧庫(ひょうろうこ)

構造 土蔵造 平屋建

規模 間口 21.82m(12間)

奥行 9.1m(5間)

面積 198.34㎡(60坪)

この建物は、「兵糧庫」といい、食糧等物資を備蓄するために造られた土蔵造の建物で、元治元年(1864)五稜郭が築城された当時のものです。

当時、五稜郭内には箱館奉行所庁舎、土蔵厩舎があり、また、郭外には奉行所に勤務する人々の役宅がありました。

明治元年(1868)10月、旧幕臣榎本釜次郎(武揚)等が五稜郭を占拠した際(箱館戦争)も使用されましたが、郭外の役宅は翌2年、戦火にあい焼失し、郭内の建物も同4年開拓使の手により解体されました。

この「兵糧庫」だけは解体をまぬがれ、長い間の風雪にも耐えてきたのですが、老朽化が著しいため平成13年から平成14年にかけて、復元工事を実施し、現在に至っております。

函館市教育委員会

 

 

玄関式台

2007年5月4日撮影。玄関式台。奉行所で使われていたものではないらしい。

以下説明板の内容。

 

玄関式台

この「玄関式台」は従来「箱館奉行所内玄関式台」と伝えられてきましたが、平成17年度の解体調査によって「箱館奉行所内玄関式台」ではないことが分かりました。

「玄関式台」とは、現在の住宅でいえば玄関前のポーチ部分の屋根にあたります。

この「玄関式台」は旧函館税関の海側に面した玄関に使用されていたものです。明治43年の改築の際に払い下げされ、斉藤家が買い受けて大正9年に弁天町の家屋新築の際に利用しました。その後昭和43年に旧斉藤家からこの場所へ移築しました。

 

 


日本聖公会函館聖ヨハネ教会

特徴的な建物函館聖ヨハネ教会。

 

ヨハネ教会

2007年4月28日撮影。函館市設置の説明板の内容は以下のとおり。

 

日本聖公会函館聖ヨハネ教会

この函館聖ヨハネ教会は、現在、世界聖公会のうちの日本聖公会に属する。明治7年(1874年)英国聖公会海外伝導教会の宣教師W・デニングが函館に来て伝導を開始したのが日本聖公会の北海道伝導の始まりで、同派の道内における宣教活動の根拠地であった。

明治11年(1878年)末広町に初めて聖堂を建てたが、翌年の大火で類焼し、その後も火災などのため幾度か移転した。
度重なる火災による類焼の後、現在の地に再建されたのは大正10年(1921年)の大火後である。

この間、教育(アイヌ学校を始め靖和女学校などの開設)、医療奉仕活動などを活発に行った。現在の建物は、昭和54年(1979年)に完成したもので、上空から見ると十字の形に見えるが、これは中世期のヨーロッパの教会に見られる建築様式を取り入れ近代的なデザインとしてのものである。

函館市

EPISCOPAL CHURCH OF JAPAN HAKODATE EPISCOPAL CHURCH

The Hakodate Episcopal Church belongs to the Episcopal Church of Japan. A missionary W. Denning of the Anglican Church Missionary Society, first came to Hakodate to preach the gospel in 1874, and established a base here.

In 1878 the first sanctuary was built in Suehiro-cho. After many fires, it was rebuilt here in 1921.

During that time the church took an active part in education (starting an Ainu school and the Seiwa Girl”s school etc. ) in medical service and other works of charity. The present building was completed in 1979 and looks like a cross from above. This is a modern design influenced by the architecture of Medieval European Churchs.

The City of Hakodate

 


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