道南一覧

長万部の名店、GRASS

GRASS

GRASS

某雑誌にて超大盛りオムライスが取り上げられており、いつか訪問してみたいと思っていた長万部のGRASS。日曜定休のため、なかなか機会がなかったが、前日ようやく訪問することができた。

メニューを見ると、オススメはチキンカリーらしい。まわりのテーブルではピザを頼まれていた様子で、ピザもとても美味しそうであった。

大盛りオムライス、米を約4合使用との情報があり、今回は断念。しかしながら、普通盛りでも一般的な大盛りサイズ。値段も安く、大変満足。

次回はチキンカリーをいただきに再訪したい。

 

■GRASS
場所:長万部町大町31
電話:01377-2-2907
営業時間:11:30〜22:00
定休日:日曜


臨時特急北斗74号(ニセコエクスプレス)

先々週末、大沼公園までJRに乗って出かけた。目的はもちろん沼の家の大沼団子である。

函館駅から特急スーパー北斗に乗車し大沼公園で下車する。この短い区間をスーパー北斗で移動するというのはなんとも贅沢であった。

大沼からの帰り、臨時特急北斗74号を利用すべくホームで待っていたところ、これまでに見たことのない車両が登場し驚かされる。車両には「キハ183-5002」の文字があり、帰宅後調べてみたところ、リゾート列車のひとつ「ニセコエクスプレス」であったらしい。

いつものスーパー北斗と比べて一番異なると感じた点は、フロントの大きな窓から外の景色が見えたこと。もちろん外観も大きく異なっていた。

ちょっとした小旅行で、思いがけない車両に乗ることができ、大変満足であった。もちろん大沼団子も堪能させていただいた。

 

■参考
・Wikipedia>ニセコエクスプレス


ニセコ連峰@ニセコ町黒川地区ビューポイント

小樽から余市を経由して国道5号線。ニセコ町に入ると、国道沿いに羊蹄山のビューポイントが用意されており、天候が良ければ、羊蹄山の迫力ある姿を真正面に眺めることができる。

さて、羊蹄山は確かに素晴らしいのだが、ご承知のとおり、羊蹄山と国道を挟んで反対側に連なるニセコの山々の姿も絶景なのである。どの山がニセコアンヌプリかは承知していないものの、春に入ってからも雪を残す姿は、とても北海道らしくて心地よい。



木古内駅

海峡線の始発駅、木古内駅。北海道新幹線開業に向け、道路拡幅、駐車場整備等の駅前周辺整備が進む。観光案内施設も駅前に整備される予定で、駅周辺を核とした、あらたなにぎわいが期待されている。

木古内町は、サラキ岬のチューリップや薬師山の芝桜など、花の魅力も楽しめるまち。マスコットのキーコくんも積極的にPR活動を行うなど、ここ最近の情報発信力が凄い。

 

 


神威岬〜その5〜

現在整備されている岬先端部へ通ずる歩道も、かなり怖い道である。

かつて、こうした整備歩道がないなかで、職員が常駐していた歴史がある、ということには驚くほかない。

 



女人禁制の地に建つ神威岬灯台

厳しい場所に建つ灯台。それを守ってきた職員や地域の人々の歴史。

設置されている説明板によると、この灯台は、北海道庁が明治21年(1888年)から6年間にわたって20基の灯台を建設した際の最初の灯台であり、明治21年(1888年)8月25日に初点灯、道内に現存する灯台では5番目に古いものであるとのこと。

 

■位置
 北緯43度20分00秒
 東経140度20分51秒
■光り方
 単閃白光 毎15秒に1閃光
■光の強さ
 17.0万カンテラ
■光の届く距離
 21.0海里(約39キロメートル)
■高さ
 地上から灯台頂部 約12メートル
 水面から灯火 約82メートル

 

また、この灯台の歴史を記したプレートの内容は以下のとおり。

 

北の辺境の地で、日夜航海の安全のため「守灯精神」のもと厳しく、辛い灯台守の生活と地域の方からの経緯をここに御紹介します。

そして、安全への願いを込めてこれからも光り続ける灯台を大切にして下さい。

 

◆「恨みますぞいお神威さまよ、なぜに女の足をとめる」(江差追分)

ここ神威(かむい)岬は風光明媚な景色を人々に堪能させてくれる一面、古くは西蝦夷地三険岬の一つとして、航海の難所として知られています。

灯台ができた明治21年(1888年)には職員3名が勤務し、灯台にたどり着くには余別の集落から片道4kmもの険しい山道を登ったり、降りたりしていました。

特に、岬に近づくと崖が続き一歩踏み外せば海に落ちてしまう怖いところが何箇所もあり、子供や女性にとっては困難を極め、灯台の職員家族や灯台を訪れる人は、海岸の大きな石を飛びはねながら伝って歩くのが普通でした。

生活は、天水を貯め、これを生活水として利用し、電気のない時代ですのでランプを灯し、食料は自給自足が欠かせなかったようですが、米、味噌、醤油、塩といった日用品は木船の備船で買出ししていました。

◆「南無阿弥陀仏、ナミアミダブツ、なむあみだぶつ」

大正元年(1912年)10月の天皇誕生日に灯台長婦人と三歳の次男、補助員の奥さんがお祝いの食料品を買出しに余別まで行く途中大波に飲み込まれ行方不明になってしまいました。

村人たちは、これに心を痛め協力してトンネルを掘ることになり、手にタガネ、ハンマー、そして掘り出した岩を運ぶモッコなどの道具をもって集まり、光りが届かない真っ暗な中、一ノミ、一ノミ掘り続け、7年の歳月をかけ大正7年(1916年)に心暖まるトンネル(念仏トンネル)と呼ばれています。)が完成し、灯台職員や家族、そして灯台を訪れる人たちの安全が守られました。

神威岬灯台は昭和35年(1960年)の無人化になるまで、職員90人とその家族により守られました。

 

参考文献:「北の灯台を守る人々」小山心平著

     「燈台風土記」燈光会刊

 

第一管区海上保安本部

小樽海上保安部

平成21年9月

 



神威岬〜その2〜

神威岬先端部へと通ずる関門から先端部まで、片道徒歩約30分。往復約1時間。

アップダウンがあり、かなり良い運動になる。