道東一覧

『延叙歴検真図』と『北海道歴検図』

幕府の役人、目賀田守蔭がまとめた『延叙歴検真図』という鳥瞰図。全道、樺太までの調査結果が鳥瞰図として掲載されており、北斗市も有川村、矢不来、茂辺地村、當別村、三石村の記載があります。

明治4年に開拓使からの要請を受けて、『延叙歴検真図』を清書して提出したのが『北海道歴検図』らしいです。

※2016/12/25 アクセス。


北見のVAN

ラッピ

じゅうじゅうと音を立てるラッキーピエロの鉄板スパゲッティを食べる都度、高校時代に通った北見のVANという店を思い出します。狭い階段と周囲がまったく見えないほど暗かった店内が印象に残っております。

VAN、北斗高校の先輩で元THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのドラマー、現在は、The Birthdayのドラマーであるクハラカズユキさんのブログでも言及されてました。

 

 

 


セッション@津別町

セッション@津別町

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唐揚げと炒飯が食べたい、と津別町のセッションまで。メニューが豊富すぎて唐揚げ炒飯の文字を見つけるまでに数時間かかりました。他のメニューへの心変わりを抑えることがなによりも難しいものと存じますので、ご注意ください。

 

 

 


バウムラスク@清月(北見市)

 

バウムラスク

北見市の清月。北見出身の小生は当然その店名を知っているのですが、代表的な菓子が何か、というところまでは存じ上げなかったわけで、いろいろと見聞きするに、どうやら「赤いサイロ」というチーズケーキと「バウムラスク」というバウムクーヘンをラスクにした菓子が最近の人気商品らしい、ということを知った次第です。

自分用に購入したバウムラスク、サクサクの食感は当たり前なのかも知れませんが、甘すぎない丁度良い甘さが気に入りました。少々高級ではありますが、珈琲等のお茶請けには最適であると感じたところです。


ハッカ記念館2 @北見市

ハッカ記念館

ハッカ記念館の写真を見ていると、なぜか一斗缶の写真ばかり撮っていたことに気付きました。少々古くさい図柄が、逆に新しく見える、そのように感じた次第です。

製造工程及び製造機器が展示されている部屋にあったこの缶は、日本製の「MENTHOL CRYSTALS」、つまりは薄荷脳の粉末の製品缶だったようです。

ハッカ記念館の前には各種ハーブが植え付けられており、また、記念館隣の蒸留館では、ハッカ蒸留の仕組みを詳しく知ることができます。(2014年8月8日訪問)

 

  • 北見ハッカ記念館・薄荷蒸留館 http://www.kitamihakka.jp/
  • 所在地:〒090-0812 北見市南仲町1丁目7番28号
  • TEL・FAX:0157-23-6200

 


ハッカ記念館@北見市

ハッカ記念館@北見市

盆の北見への帰省時に、北見市内のハッカ記念館を訪問してきました。地元の人でも、中に入ったことのある人は多くないのではないでしょうか。北見で高校時代を過ごした小生も中に入るのは今回が初めてでした。

記念館内部ではかつてハッカで栄えた北見の歴史や、ハッカそのものについて説明を受けることができます。「ハッカ脳」というのが「Menthol Crystals」と同じ意味で、ハッカの結晶を粉にしたものだとか。昔、お祭りで売っていたハッカパイプは、砂糖にごく少量のハッカ脳を加えたものだそうです。

ハッカスプレーは虫除けにも効果抜群と聞いたため自分用にいくつか購入し、帰って参りました。

 

2014年8月8日訪問。

 

■アマゾンでも売っているようです。北見ハッカ通商 ハッカ油セット 10ml スプレー+20ml 【HTRC3】

 


道の駅おんねゆ温泉2014

道の駅おんねゆ温泉

北見に帰省するたびに寄ることにしている道の駅おんねゆ温泉。留辺蘂と石北峠との間で、北見から旭川方面へ向かうドライバーにとっては、峠越え直前の休憩スポットとなるため、いつも人で賑わっている。

からくり時計と山の水族館の影響で、子供連れの家族が目立つようになった。からくり時計は、所定の時間に人形が音楽とともに登場する仕掛けであるため、そのタイミングで多くの人が集まってくる。

2014年8月11日訪問。

 

■参考
北見市の道の駅〜おんねゆ温泉

 

 


ハッカ記念館

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北見市内ではピアソン記念館と並び知られたハッカ記念館。北見でも今ではほとんど栽培されていないが最近はタマネギにその座を奪われつつあるが未だ北見の代名詞となっている。

 

北見指定文化財
ハッカ記念館
当地での本格的なハッカ栽培は、明治30年代半ばに上湧別から種根を譲り受けて始まったと言われており、その後、作付面積が急増して当地の基幹産業となったが、これを支えたのが、北見薄荷工場の建設と言えよう。北見薄荷工場は昭和9年に操業開始し、昭和14年(1939年)頃には、世界のハッカ市場の7割を占めるほどになったが、戦後、合成ハッカの台頭などにより出荷量が減少し、昭和58年に閉鎖された。 ハッカ記念館の建物は、薄荷工場の事務所兼研究室として昭和9年(1934年)から工場閉鎖時まで使用されていたもので、当地方のハッカ産業を物語る貴重な文化財のひとつである。
平成8年7月8日指定 北見市教育委員会

ピアソン記念館

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北見が地元と公称していながらこれまで訪問したことがなかったピアソン記念館。その場所も正直なところハッカ記念館と混同していた。こんなに北見の街中にあったことに驚くとともに周囲を木に囲まれ街中にいることをしばし忘れさせられる空間にはとても癒やされた。

2014年6月27日の訪問。

 

北見市指定文化財
ピアソン記念館
ピアソン記念館は、ピアソン宣教師夫妻の住宅として大正3年(1914年)に建築された建物で、設計者は明治末期から昭和初期にかけて日本各地で数多くの洋風建築物を設計したW・M・ヴォーリズ氏。

ピアソン宣教師は昭和3年(1928年)にアメリカへ帰国するまでの間、布教活動のほか、当地方の矯風活動や慈善活動に尽力され、宣教師夫妻の足跡はこの建物とともに多くの人々に語り継がれている。

平成8年7月8日指定 北見市教育委員会

信善光寺の屯田兵人形(北見市川東)

北見市川東、常呂川沿いの高台にある信善光寺には、北見開拓の基礎を築いた屯田兵の人形75体が展示されている。

1923(大正12)年に、当時の住職が彼らの功績を称えるため、日露戦争当時の写真をもとに制作したものらしい。

私の実家も北見市川東にあり、子供の頃に何度か見たことがあった。今回、十数年ぶりにこの人形を見ることができた。昔の記憶どおり、一体一体顔つきの異なる人形から、リアルな屯田兵の姿をイメージすることができる。

北見開拓は、屯田兵と高知からの北光社移民団の役割が大きく、北光社の「北光」、屯田兵初代大隊長の小泉正保の「小泉」、2代目大隊長の三輪光儀の「三輪」、これらは現在も北見市内の地名として残されている。

寺の前に設置されている説明板の内容は次のとおり。

民俗文化財「屯田兵人形」の由来
 屯田兵が野付牛(現北見市)の開拓に入地したのは、明治30年(1897年)と31の両年で、約千戸の大所帯でした。しかし、昼なお暗い野付牛の原生林を切り拓き、厳しい気候条件での開墾は遅々として進まず、明日の糧にも困る暮らしであったといいます。
 このような幾多の苦難にも耐え抜き、当地発展の礎となった屯田兵の遺徳を顕彰するため、浄土宗信善光寺の吉田信静尼(よしだしんじょうに)は屯田兵人形の制作を思い立ちました。制作は名古屋市の玉正商会に依頼され人形師荒川宗太郎氏の指導のもと、弟子の木場賢治氏と二人で日露戦争当時の写真をもとに希望者75体の人形が作られました。人形の素材は頭部がキリ材、胴体と鉄砲・台座はサワラ材が使われ、衣装は軍装の高さ68cm前後の立像です。
 屯田兵人形はここ信善光寺の本堂に安置され、当時の屯田兵をしるうえでの貴重な資料となっています。
 (昭和44年(1969年)11月3日に北見市指定文化財第2号)

参考:『北海道の歴史散歩』北海道高等学校日本史教育研究会編 山川出版社 2006年


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