『演義』では蜀漢を正統とするが、陳寿の『三国志』では曹魏を正統とする。陳寿は蜀漢の旧臣から西晋の史家となったため、『三国志』においては劉備こそが後漢の継承者であるという思いを仄めかしながらも、曹魏から正統に国家を譲り受けた西晋の視点、つまりは曹魏を正統とする視点とせざるを得なかった。
それぞれの視点で曹操、関羽、諸葛亮、そして三国志の時代を眺めてみると、これまで我々が想像してきた三国志とは違った世界が見えてくる。
北斗市向野から。
古文書解読と言えば、一文字一文字何という文字なのかを紐解いていく作業を思い浮かべるだろう。「ゟ」、「候」、「御」、「被」、「而」など独特なくずし字を最初に教わった人も多いはず。古文書辞典類もかなり充実しているし、有名な史料であれば翻刻されているものも多い。
一方で、それをどのようにして文章として読むかというと、これを学ぶ機会がなかなかない。学生時代は、先生の読み上げるのを聞いて学ぶことができた。独学では読み方を知る方法はないに等しい。なぜそう読むのかもわからない。
本書は、古文書の訓読に焦点を当てたもの、これまで見たことのない一冊である。正確な訓読ができなければ、正しい解釈もできない。正しく解釈できなければ文字を読めても文書を読めることにはならない。初学者はもちろん、学び直しの方にも必読の書である。
学生時代に出会えなかったことが悔やまれる。
吉田流卜部氏に生まれ六位蔵人から従五位下左兵衛佐に任じた、という現在定説となっている「吉田兼好」像は、偽系図・偽書に基づくファンタジーであり、史料から読み取れる兼好法師像はもっと俗っぽくて生き生きした人物である、という極めて衝撃的な内容の一冊でありながら、当時の制度や慣習を踏まえた史料解釈に基づく冷静な論の展開に、深く引き込まれます。何事も批判的な視点をもつというのは大事ですね。難しいことですが。
中国の史料に登場する流鬼や夜叉。流鬼や夜叉がどこにあり、どのような人々だったのか、ということについて永年の議論があるが、本書において著者は、
流鬼はサハリンのオホーツク文化の人たちであり、夜叉はオホーツク海北岸の古コリャーク文化の人たちだった、と私は考えている。そして流鬼はニヴフ民族に相当し、夜叉はコリャーク民族に相当すると考えることができる。(p.12)
と主張し、環オホーツク海の諸民族の古代史を丁寧に解説する。
印象的だったのが、『元史』に登場する骨嵬(こつがい)についての以下の箇所。
ここで骨嵬と書かれているのは、ギリャーク(ニヴフ)民族がアイヌ民族をクギとよぶ発音の漢字表記であるから、骨嵬は明らかにアイヌ民族を指している。骨嵬という表記はその後、明朝では苦兀(くごつ)あるいは苦夷(くい)と書かれている。これはアムール河下流域のツングース民族がアイヌ民族をクイとよぶ発音に対応している。(p.169-170)
骨嵬(くぎ)→苦兀(くごつ)・苦夷(くい)、この流れで蝦夷(かい)と日本で表記されるようになったのだろうか?
原題は、『日欧文化比較』。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが、天正13(1585)年に加津佐でまとめたもの。安土・桃山時代の日本の生活や文化を知るための貴重な史料となっています。
特に印象的だった点をいくつか。
ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということは滅多に、というよりほとんど全くない。日本の女性は、育てていくことができないと思うと、みんな喉の上に足をのせて殺してしまう。(p.51)
衝撃。命の重さすら絶対的ではなく相対的なものなのか。堕胎についても「日本ではきわめて普通」との記載あり。
われわれの子供は大抵公開の演劇や演技の中でははにかむ。日本の子供は恥ずかしがらず、のびのびしていて、愛嬌がある。そして演ずるところは実に堂々としている。(p.66)
今だと逆の評価では? 日本人の子供は恥ずかしがり屋でもじもじ、一方、欧米の子供は実に堂々と自己主張する、といった風に。(注に、「武士の子弟の演ずる舞や能などを指すものと思われる」とあり。)
われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿 Tono はいかがなされた。」と尋ねると、「酔払ったのだ。」と答える。(p.101)
その他、当時、ヨーロッパの風習と比較してフロイスが異様に感じた日本の文化ですが、今の日本と比べてみて異様に感じることや、昔から変わらないこと等に気付かされます。
目次
著者が各地の農山漁村の老人から聴き取りしたそれぞれの地域の生活や文化の記録。
地域に暮らした普通の老人の話なのでとても生々しくダイナミックな歴史・文化に感じました。
特に男女関係の記載についてはあまりにも現在の感覚と違っていてとても興味深かったです。
司馬遼太郎の小説にも同じような場面が出てきていたのを思い出しましたが、こういう風習というか文化はおそらく本書に登場した地域に限定されるものではなくて、広い地域で行われていたのではないかと思います。
前九年の役にて陸奥の安倍氏、後三年の役にて出羽の清原氏がそれぞれ滅ぶ。史料が少なく両氏の興隆の歴史に注目した研究は非常に少ない。こうした著者の問題意識に基づき、限られた史料を徹底的に精査することで、両氏の「興」と「亡」を改めて見直した一冊。
本書は、「歴史の中の言葉」というテーマで開かれた連続講座の内容をまとめたものであり、「日本」や「百姓」、様々な商業用語、「自由」などを取り上げ、「歴史を考えるヒント」も「言葉」の中にある、というのが主題となっています。
「それが使われていたときの言葉の意味を正確にとらえながら中世の文書を読み解いていくと、予期しない世界が開けてくることがあるわけで、そこに「歴史」という学問の面白味があるとも言えるとお思います。」(p.195) との筆者のコメントがまさに本書のテーマを一言で表しているように感じました。
「縄文」「蝦夷」「アイヌ」。言葉の定義として整理し、理解することが重要ながら、相当に難しい。実際には、これらは区分けできるものではなく、ゆっくりと溶け込むようにして今に至っている、そんなふうに感じました。