北斗市一覧

セメント工場で活躍した電気機関車

北斗市総合体育館正面玄関の向かい側、グラウンド前に復元された電気機関車が展示されている。大正12年製で、国産の電気機関車としては最古級のものらしい。

北斗市による説明板の内容は次のとおり。

 

●この機関車は、大正12年(1923年)、横浜市保土ヶ谷の東洋電気製造株式会社旧横浜工場でうぶ声をあげました。国産の電気機関車としては、最古の部類に属します。誕生以来65年間町の基幹産業として発展してきた旧日本セメント(株)上磯工場で、セメントの原料となる石灰石や粘土の輸送に活躍しました。自重16トンの、この機関車には、45キロワットの主電動機が2台装架され、路面電車と同じ直接制御器で運転されます。鉱山で石灰石を貨車に満載し、工場へ向けて急勾配を下るため、前後の車輪の間に電磁吸着ブレーキを装備しているのが特徴です。のちに集電装置をポールからパンタグラフに変更するなど、若干の改造が施されました。ボンネットの鐘をならしながら、当地の山野で働き続けた日々は、決して平坦なものではありませんでした。しかし、町民の皆さんにあたたかく見守られ、現役で還暦を迎えることができたこの機関車は、どんな華やかな機関車よりも幸せであったに違いありません。昭和63年(1988年)旧日本セメント(株)のご厚意により、先人の英知と努力の結晶であるこの機関車を新製当時の姿に復元しこの地に永久保存することにいたしました。
昭和63年11月10日
北斗市

主要諸元
自重 / 16t
最大長 / 6100mm
最大幅 / 2150mm
最大高(ポール降下時)/3400mm
軌間 / 1067mm
電気方式直流 / 600V
1時間定格出力 / 90kw(45kw×2)
1時間定格引張力 / 1765kg
1時間定格速度 / 19.3km/h
主電動機形式 / TDK31-C
動力伝達方式 / ツリカケ式
歯車比 / 14:70-1:5
制御方式 / 直列抵抗制御
制御装置 / DBI形直接制御器
ブレーキ装置 / 電磁吸着ブレーキ、手ブレーキ
製造所 / 東洋電気・汽車会社
製造年 / 大正12年(1923年)


大郷寺(北斗市本郷)

白川伊右衛門の墓。「文化丁四年五月二十六日」と刻まれている。

北斗市本郷16の大郷寺には、樹齢約210年を超えると言われる見事な公孫樹が立っている。毎年、11月頃には鮮やかに色づいた葉を見ることができる。

『北海道寺院沿革誌』(星野和太郎編、明治27年)によると、大郷寺の建立は文化2年、常陸国茨城郡河合村の枕石寺衆徒であった僧西宣が開基となり、現在の稲里(当時は市渡村字八軒家だった)に千葉道場として建てられた。その後、文政元年に現在地へ移転、安政5年12月に大郷寺と改称した。

なお、『大野町史』によれば、大郷寺の「大郷」は西宣の姓に由来するらしい。

八軒家に千葉道場が結ばれた文化年間の初期頃には、現在の本郷周辺にはまだ集落が形成されていなかったらしい。

また、境内の墓地には、本郷開田の祖と言われる白川伊右衛門の墓も残されている。

 

 

北海道設置の大郷寺の公孫樹に係る説明板及び大野町教育委員会(当時)設置の説明板の内容は以下のとおり。

大郷寺の公孫樹記念保護樹木
この木は、樹齢175年と推定されるいちょうの木です。文化2年(1805年)に本郷の開祖、白川伊右衛門、僧西宣の2人が来道し、のちの13年後、現在の大郷寺の地に移ったとき、このうちのどちらかが、植えたものと思われるが不明である。 秋には、たくさんの実をつけ、参拝と合わせ大勢の町民でにぎわう、又隣接に幼稚園もあり子ども達の教育樹木としても親しまれている。
昭和47年3月25日指定 北海道  

 

大郷寺と白川伊右衛門の墓
大郷寺は、東本願寺大谷派の寺である。 大野村史によれば、文化2年(1805年)は箱館の千葉久治が市渡村の八軒家(現在の稲里)に開拓を志し、常陸国(現在の茨城県)の枕石寺の衆徒であった日野西宣と協力し、福山専念寺及び本山の許可を得て千葉道場を建立した。次いで、文政元年(1818年)に八軒家から現在の地へ移転した。その移転先の土地は、白川伊右衛門の寄付地であったといわれている。安政5年(1858)に大郷寺と改称された。 さて、大郷寺の境内に白川伊右衛門の墓がある。白川伊右衛門は、本郷の開田の開祖といわれている人であり、開田は文化2年より始められ文化4年までの3か年間で、墾田面積は45町歩である。伊右衛門は文化4年5月26日に本郷で亡くなっている。しかし本郷の在住期間はわずか2年ほどであったといわれている。
平成15年8月 大野町教育委員会


北斗市本町の光明寺

北斗市本町の光明寺(こうみょうじ)は、明和4年(1767年)に建立された光明庵に由来する寺院であり、函館市船見町の高龍寺を本寺とする。

墓地には箱館戦争時の新政府軍であった備後福山藩、越前大野藩、松前藩戦死者の墓のほか、旧幕府軍の永井蠖伸斎、網代清四郎の墓もある。永井蠖伸斎、網代清四郎両名とも明治2年(1869年)4月29日に、永井は矢不来の戦いにて、網代は有川において戦死している。

『北海道寺院沿革誌』(明治27年 星野和太郎編)には光明庵「明和四年八月」建立として記載がある。ただし、開基については「唱道和尚 高龍寺三世住職」と記載されており、年代からしても正しくは高龍寺七世住職の整天喝道であると考えられる。(ちなみに高龍寺三世住職は欝山東積。)


『七世整天喝道頂相』(高龍寺所蔵)

興味深いのは、高龍寺がこの光明庵造営の前、1731年に茂辺地村の宝樹庵(現在の曹渓寺)、1736年に上磯村の観音庵(現在の広徳寺)、1745年に市之渡村の大悲庵(現在の円通寺)を造営している点である。いずれも現在の北斗市内にあるということも面白いが、これらの時期が東蝦夷地直轄化(1799年)前夜にあたり、急速に箱館近隣の下海岸や噴火湾一帯が和人地化されていった時期でもある。こうした和人地化に合わせて各宗派寺院が教線拡大を図ることは自明であり、光明庵等の造営についても高龍寺によるそうした活動のひとつと見ることができる。

光明寺境内に設置されている説明板の内容は次のとおりである。(原文のまま)

光明寺(こうみょうじ)
光明寺は本寺函館市高竜寺7世整天喝道大和尚が明和4年(1767年)一字を建立し光明庵と称したが天保13年(1842年)破損せるを以って再建す明治23年(1890年)寺号公称して、慧日山光明寺となった。明治28年8月より3年がかりで改築し現在に至る。
曹洞宗。本尊は釈迦牟尼物。境内にある地蔵菩薩は天保14年(1843年)檀信徒有志によって寄進された。飛地境内地として観音山がある。文化年間(1804年〜1808年)大野・市渡・文月の三村に馬牧場があったが、クマの被害が多く住民は困り切っていた。
これを聞いた光明庵(後の光明寺)の仏母扶宗和尚が馬頭観世音菩薩と33体の観音像をまつり、観音堂を建立し住民の不安を除き、旦村民風雨の際の避難所となした。墓地には、箱館戦争榎本軍永井蠖伸斎、網代清四郎両人の墓。箱館戦争官軍、松前、安芸福山、越前大野三藩戦死者の墓。土佐藩北海道開拓団杉本安居の墓。大野初代村長神谷小太郎の墓。医師宍戸精庵家族の墓。内、宍戸泰庵の墓は仙台例藩主伊達邦成の書
例江戸の漢学者向坂吉兵衛の墓がある。

■光明寺 〒041-1201 北斗市本町290

■参考
『高龍寺史』 平成15年 高龍寺史編纂室編
『大野町史』 昭和45年 亀田郡大野町刊
『北海道寺院沿革誌』 明治27年 星野和太郎編 ※国立国会図書館近代デジタルライブラリー


カール・レイモンのハム・ソーセージ工場跡

北斗市渡島大野駅の前にあったカール・レイモンの工場。2008年の訪問。

カール・レイモンの工場跡

2008年3月20日撮影。旧大野町教育委員会設置の説明板に記載の内容は以下のとおり。

カール・レイモンのハム・ソーセージ工場跡

カール・レイモン(1894〜1988)は、昭和7年(1932)大野村の本郷駅(渡島大野駅の前名)近くに工場を完成し、翌8年に大野工場と名付けた。

工場・住宅、そして牛35頭・豚310頭を飼育する大きな畜舎やサイロ、更に食肉処理加工場まで合わせ持つ、ハム・ソーセージ造りの大施設工場で、まさに、レイモンが提唱していた北海道開発プランのミニチュア版であった。

畜育から食肉加工までの一貫経営は、経済的・人的資源の活用や産業の育成等地域との交流が行われた。

また、敷地内にミニ動物園を開設して、ライオン・猿・鷲・犬・猫等を飼育し、地元はもとより函館市内からも小学生が遠足で訪れ賑わった。

昭和13年(1938)強制買収によって、大野工場は閉鎖され、函館へ移住を余儀なくされた。

動物の霊を奉った獣魂碑は工場内にあったものを市渡住民の手により、近くの市渡馬頭観音の境内に移設安置されている。

平成12年8月

大野町教育委員会

平成18年2月1日より北斗市教育委員会


北斗市大郷寺の公孫樹記念保護樹木

北斗市大郷寺にあるイチョウの木。樹齢は200年以上と推定されている。

大郷寺の公孫樹

2008年1月19日撮影。

保護樹木指定に係る北海道設置の説明板の内容は以下のとおり。

大郷寺の公孫樹記念保護樹木

この木は、樹齢175年と推定されるいちょうの木です。文化2年(1805年)に本郷の開祖、白川伊右衛門、僧西宣の2人が来道し、のちの13年後、現在の大郷寺の地に移ったとき、このうちのどちらかが、植えたものと思われるが不明である。

秋には、たくさんの実をつけ、参拝と合わせ大勢の町民でにぎわう、又隣接に幼稚園もあり子ども達の教育樹木としても親しまれている。

昭和47年3月25日指定

北海道


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