上磯一覧

矢不来台場の砲数

開拓使編(明治17年)『北海道志』巻22に矢不来台場についての記載があります。

矢不来台場 鉄砲4門 1貫目 500目 300目 150目

1貫目、500目、300目、150目の計4門の砲が配置されていたようです。

北海道志巻22

  • 国立国会図書館デジタルコレクション>『北海道志』巻22 4コマ目 (2017/01/02 アクセス)

 


『ペリー提督日本遠征記』

ペリー提督の『日本遠征記』、”Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan”としてインターネット・アーカイブ(www.archive.org)で閲覧可能となっていました。

  • volume 1 (2016/12/31 アクセス)
  • volume 2 (2016/12/31 アクセス)
  • volume 3 (2016/12/31 アクセス)
  • volume 4 (2016/12/31 アクセス)

ペリー日本遠征記

上記「volume 1」に掲載されている七重浜近辺と思しき絵。補給用なのか、漁をする様子が描かれています。

ペリー日本遠征記

上記「volume 4」に掲載されている函館湾の図。有川、矢不来、茂辺地の記載があります。

日本語で出版されているものであれば、以下のものが良さそうです(未読ですが。)。


『蝦夷地名考并里程記』のなかの上磯地名

上原熊次郎(文政7)『蝦夷地名考并里程記』に上磯(現北斗市)の地名も出てきており、アイヌ語を語源とする旨記載されています。諸説あるのでしょうが、アイヌ語源というのは理解しやすい気がします。

東京国立博物館デジタルライブラリーにて『蝦夷地名考并里程記』の画像データも公開されており、該当箇所は7ページ目となります。

『上磯町史 上巻』の読み下しによれば、

 当別:夷語トヲウンベツなり。沼の有る川と譯す。トツは沼の事。ウンとは生するの訓にて有と申事なり。此川の奥に沼有る故号くという。

茂辺地:夷語ムーベツなり。塞る川と譯す。ムーとは塞と申事。ベツは川なり。此川餲水亦は仕化の節、水口塞る故、地名になすと云う。

戸切地:夷語ベケリベツなり。あきらかなる川と譯す。ベケリとは明らかと申事。ベツは川なり。この川の流れ清き故、地名になすと云う。

この戸切地の項には、有川について「此村内(戸切地)東の方の枝流を有川といふは和語なるべし。則、戸切地川の枝川なり」とある。

久根別(ク子ベツ):夷語クン子ベツなり。則、濁川と譯す。クン子は黒い又濁るの訓にて、ベツは川なり。此川水常に濁り流るゝ故、地名になすと云ふ。

七重:夷語はナァナイなり。則多く渓間有と云ふ事。ナアとは幾重等もと申事。ナイは渓又は沢等と申事なり、此辺渓沢の多く在故、地名になすと云ふ。

『上磯町史 上巻』p.511

蝦夷地名考并里程記

蝦夷地名考并里程記

画像は、上記東京国立博物館デジタルライブラリーで公開されている『蝦夷地名考并里程記』(2016/12/21 アクセス)です。


松宮観山『蝦夷談筆記』

江戸中期の儒学者、松宮観山の『蝦夷談筆記』に茂辺地、富川、戸切地のアイヌ居住について記載有。

『上磯町史 上巻』(1997年,上磯町)p.510に当該箇所の読み下しが載っています。

一、蝦夷地と松前地との境の義しかと限は無御座候。西在郷は田澤、乙部、東在郷ちこない、しやつかり、茂辺地、富川、へけれ地辺迄、人間 日本人の事を云 と入交り、蝦夷人居住仕候。しやも 日本人の事 の中に交り候て住居仕候義好不申哉、段々蝦夷地へ引入候て、近年は少く罷有、田澤、乙部杯のゑぞは疱瘡疹に死亡仕、只今は大方絶申候事

茂辺地、富川、戸切地のあたりでも蝦夷人が和人と混住していたものの、混住を嫌い、蝦夷人は蝦夷地に移っていったため少なくなった、といったことのようです。

なお、『蝦夷談筆記』の写本データが、早稲田大学図書館古典籍総合データベースに掲載されており、上記箇所(2ページ目が当該箇所)についても確認できます。


人形装飾付異形注口土器

昭和7年に茂辺地遺跡で出土した重要文化財の人形装飾付異形注口土器(ひとがたそうしょくつきいけいちゅうこうどき)、『上磯町史 上巻』(平成9年)には国立歴史民俗博物館収蔵とありますが、現在は、上野の東京国立博物館にあるようです。なお、レプリカは、新函館北斗駅併設の北斗市観光交流センター1階のイベントスペースで展示されています。

人形装飾付異形注口土器

※画像出典:東京国立博物館

参考

 


『蝦夷島奇観』—當別(当別)村出土の土偶

江戸幕府の役人だった村上島之允(秦檍磨[note]秦檍丸と表記されている場合も見られる。読み方は、「はたあわぎまる」、「はた(はだ)あわきまろ」か? [/note])の『蝦夷島奇観』に、寛政10年春に当別村の氏神の祠の傍から土偶が出土した旨の記載有。

蝦夷島奇観 當別(当別)村出土の土偶

※画像出典:東京国立博物館

参考


ズコットチーズケーキ@大黒屋菓子店

ズコットチーズケーキ@大黒屋菓子店

北斗市飯生、上磯駅前商店街にある大黒屋菓子店のズコットチーズケーキが美味い。その名も「峩朗の月」(1,000円)。フワフワの外観としっとりとした食感、甘すぎず飽きのこない味、かなりいけてます。

 

■大黒屋菓子店
所在地:北斗市飯生2丁目8-4
電話番号:0138-73-3152
営業時間:9:00~20:00
定休日:日曜日

 


「上磯」の由来について

旧上磯町の「上磯」という名称について、『上磯町史』によればアイヌ語起源説と海岸線の呼び名説との2説に整理されている。

アイヌ語起源説は、「神瀑(※読み方が不明。)」又は「神の岩」を指す「カムイソ」に由来するというもの。

一方で、海岸線の呼び名説としては、函館から東側を下海岸と言うことから、西側は上海岸、つまり「上磯」になった、というものである。

いずれにしても、上磯という名称は、明治11年(1878年)12月7日、有川村と戸切地村との合併に際して函館県令時任為基が命名したものとされている。