中央区一覧

馬喰横山

馬喰町。「馬喰」とは、かつて「伯楽」、「博労」と呼ばれた、牛馬で生計をたてていた人々を表す。現在は、衣料品卸問屋街として有名な地域である。なお、ほとんどの店舗は小売り対応しないため注意が必要だ。

馬喰横山

2012年2月18日撮影。馬喰町の問屋街。一見、普通の服屋さんに見えるものの、ほとんどの店に「小売りはいたしません」と書かれた紙が貼られている。

馬喰横山

2012年2月18日撮影。馬喰町横山町仲通り。

馬喰横山

2012年2月18日撮影。馬喰横山駅に置かれている馬の像。その横に駅名解説のプレートがあった。内容は以下のとおり。

 

「駅名由来」

馬喰横山駅

寛永図によると、橋本町(現在の日本橋本町)の辺りを横山片町と記してある馬喰町南北は、共に古く横山村の域内であり、その横山片町の北側はすべて寺院であった。馬喰町の博労師のことは、天正18年の日記に「たかぎと云う馬くろ、ゆいしょ申出る、馬場の地の絵図いたす」とあり、後世まで町名主の家とした馬喰を博労とも当時は書いたが本来は伯楽を本字とした。

伯楽とは、馬医とか、牧人、馬商等を総呼する言葉である。いずれにしても馬に関係する家業の人々が始めた町であった。

横山町は馬喰町の南側にあり、西側に本町、大伝馬町、東側に両国広小路になっていた。北条の役帳に「五貫三百文、江戸横山分」と記してあり、小さな村名と想われるが、初めは、横山何某の所有地であった。

このように由緒ある馬喰町、横山町の二つの地名を合せて馬喰横山駅となった。

 


真珠王記念碑

御木本幸吉は三重県鳥羽市生まれで養殖真珠の創始者とのこと。銀座ミキモト本店前にて発見。

真珠王記念碑

2011年10月16日撮影。

 

真珠王記念碑

2011年10月16日撮影。碑の内容は次のとおり。

 

御木本幸吉翁は本年九十五歳養殖真珠の創始者で真珠王の名は全世界に及んでゐる當處南北十間の地は翁の店舗の場所である

昭和二十八年四月 銀座通聨合會


日本橋

日本橋。現在の橋は明治44年3月の架設とのこと。かなり古い。頭上には首都高が複雑に走っており、なかなか橋の存在に気付きにくいが、青銅製の照明が存在感を残している。

日本橋 

2011年9月25日撮影。手前に刻まれている内容は以下のとおり。

 

日本国重要文化財

日本橋

構造 形式

石造二連アート橋 高欄付(青銅製照明灯を含む)

附 東京市道路元標 一基

所有者

国(建設省)

指定年月日

平成十一年五月十三日 指定 (建第二三六二号)

指定の意義

明治期を代表する石造アーチ道路橋であり 石造アーチ橋の技術的達成度を示す遺構として貴重である

また 土木家 建築家 彫刻家が協同した装飾橋架の代表作であり ルネサンス式による橋梁本体と和漢洋折衷の装備との調和も破綻なくまとめられており 意匠的完成度も高い

建設省国道に係る物件で初めての重要文化財指定

 

日本橋 

2011年9月25日撮影。

 

道の起点としての日本橋

中央区日本橋1丁目〜港区新橋1丁目

日本橋は古来街道の起点として広く親しまれ現在も交通の要衝として知られている。慶長8年に日本橋が架設されて以来、火災などによって改築すること19回を経て、明治44年3月石橋の名橋として現在の橋に生れ変った。また日本橋から銀在にかけての中央通り一帯は近代的な街並で日本経済の中心地として今なお活況を呈している。

 

国指定重要文化財

日本橋

所在地 中央区日本橋1丁目 日本橋室町1丁目

日本橋がはじめて架けられたのは徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603)と伝えられています。幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋とし、重要な水路であった日本橋川と交差する点として江戸経済の中心となっていました。橋詰には高札場があり、魚河岸があったことでも有名です。幕末の様子は、安藤広重の錦絵でも知られています。

現在の日本橋は東京市により、石造二連アーチの道路橋として明治44年に完成しました。橋銘は第15代将軍徳川慶喜の筆によるもので、青銅の照明灯装飾品の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表しています。橋の中央にある日本国道路元標は、昭和42年に都電の廃止に伴い道路整備が行われたのを契機に、同47年に柱からプレートに変更されました。プレートの文字は当時の総理大臣佐藤栄作の筆によるものです。

平成10年に照明灯装飾品の修復が行われ、同11年5月には国の重要文化財に指定されました。装飾品の旧部品の一部は中央区が寄贈を受け、大切に保管しています。

 平成12年3月

中央区教育委員会

 

 場所:http://g.co/maps/smzmt

 

 


日本橋漁河岸跡

東京メトロ三越前駅B6出口を出ると、「日本橋魚市場発祥の地」碑がある。その奥にある像は、竜宮城の住人たる魚たちが集まる場所という意味から、乙姫を表しているらしい。

日本橋魚河岸跡 

2011年9月25日撮影。

 

日本橋魚河岸跡

2011年9月25日撮影。中央区教育委員会による説明は以下のとおり。

 

日本橋漁河岸跡

所在地 中央区日本橋室町1丁目8番地域

日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町1丁目・本町1丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変な賑わいをみせていました。

なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり、江戸っ子たちの威勢の良い取引が飛交う魚市が立ち並んだ中心的な場所で、一日に千両の取引があるともいわれ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。

江戸時代より続いた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を、河岸地に設けた桟橋に横付けした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売場を開いて売買を行ってきました。

この魚河岸は、大正12年(1923)の関東大震災後に現在の築地に移り、東京都中央卸売市場へと発展しました。

現在、魚河岸のあったこの場所には、昭和29年に日本橋魚市場関係者が建立した記念碑があり、碑文には、右に記したような魚河岸の発祥から移転に至るまでの300余年の歴史が刻まれ、往時の繁栄ぶりをうかがうことができます。

 平成19年3月

中央区教育委員会

 

場所:http://g.co/maps/pr2j2


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