五稜郭一覧

北海道函館市の国指定特別史跡・五稜郭跡で…(毎日新聞)

北海道函館市の国指定特別史跡・五稜郭跡で、1864(元治元)年に箱館奉行所の米蔵として建築された「兵糧庫」が31日まで特別公開されており、大勢の観光客が歴史ロマンを堪能している。https://mainichi.jp/articles/20170815/ddm/041/040/110000c

8月31日までに何とか行きたいものです。


旬味 「千 SEN」

旬味 「千 SEN」

日本史ゼミによる暑気払い。五稜郭の居酒屋 旬味「千 SEN」にて。スタートから豪華なふぐ刺しに度肝を抜かれる、美味しく楽しいひとときでした。お酒の種類も豊富です。

函館における今後一層のアイヌ研究、縄文研究の深化を期待します。

 

お店については、以下の公式サイトを御覧ください。



谷目基さんの手回しオルガン@五稜郭タワー

谷目基さんの手回しオルガン

 

谷目基さんの手回しオルガン

先日、五稜郭タワー内の旬花にて、函教大の史学研究室同窓会が開催(毎年1月5日開催と決まっていて、60年近く(又は超)続いている伝統ある会合なのです。)され、小生も出席させていただきました。

せっかくの五稜郭タワーということで、前から気になっていた手回しオルガンを眺めて参りまして、手づくりの温かみと職人の技の巧みさとを実感いたしました。

この手回しオルガンは、五稜郭タワーグランドオープン1周年記念に作製されたもので、函館山の麓にて工房を開かれている手回しオルガン職人(日本でも数少ない職人さんです。)谷目基さんの作品です。製作には8ヶ月も費やされたそうです。

残念ながら、この日オルガンの音色や動く人形を観ることはできませんでしたが、次回は演奏を聴いてみたい、そのように思った次第です。

(演奏スケジュールを見ますと、毎週土日・祝日の11:00、13:00、15:00にそれぞれ15分程度演奏されるそうです。)

■参考
PANORAMA JOURNEY 360°パノラマで旅するサイト>パイプオルガン作家・谷目基


桜開花前の五稜郭公園

桜の開花までもうしばらくの五稜郭公園。ゴールデンウィーク前半の最終日であり、快晴に恵まれたため散歩、ジョギング、そしてバーベキュー客で賑わっていた。

気温も日差しも散歩には最適であった。

 

マグロのぼりが泳ぐ五稜郭タワー。大間の島康子さんの企画。他の鯉のぼりよりも一回り太く、泳ぎも力強い。

 

五稜郭、土塁の先端。高さがあり意外と怖い。

箱館奉行所も観光客で賑わっている。

 

2013年4月29日訪問。


ゴエキ(五稜郭駅)

五稜郭駅という名称ながら、五稜郭公園までは遠い。徒歩だと30分以上かかる(私は40分かかった・・・)。利用者の多くは通学、出張だろうか。

五稜郭公園までのルートをじっくりと考えると、なかなか面白い「まちあるき」ルートがつくれそうな気もする。

公園にいたるまでは、順路にもよるが、函館市民の生活感あふれるゾーンを通過しなければならず、マニアックな酒場も多い。そう考えると、五稜郭駅〜五稜郭間の距離というのは、あながちデメリットばかりとも言えないのでは?

 


開花前の五稜郭公園

開花直前の五稜郭公園。本来であれば今日は見頃のはずだが、悪天候のため本格的な花見はしばらくお預け。

 

2012年4月30日撮影。

五稜郭公園

鯉のぼりが泳ぐ五稜郭タワー。

 

五稜郭公園

4月30日時点では、まだつぼみの段階。

 

五稜郭公園

五稜郭公園

復元後はじめて見たが、なかなか立派なたたずまいでした。

 

五稜郭公園

五稜郭公園

奉行所前に設置されている解説の内容は次のとおり。

 

箱館奉行所は、幕末の箱館開港により設置された江戸幕府の役所で、奉行所の防御施設として築造されたのが五稜郭です。

安政4年(1857)に着工して7年後の元治元年(1864)に完成し、蝦夷地の政治的中心となりました。

明治維新の際には戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となり、明治4年(1871)に奉行所庁舎は解体されました。

それから140年の時を経て、平成22年(2010)に箱館奉行所が復元されました。

Hakodate Magistrate’s Office was established by the shogunate government at the time of the opening of Hakodate port, and Fort Goryokaku was built to guard the magistrate’s office.

The construction started in 1857, and when completed 7 years later in 1864, it became an administrative center of Ezo region.

It was in Goryokaku that the Battle of Hakodate was fought to be the last battle of the Boshin War during the Meiji Restoration. The magistrate’s office was then demolished in 1871.

Some 140 years later, in 2010, Hakodate Magistrate’s Office was restored to its original state.

 

五稜郭公園

五稜郭公園にあった碑。「男爵薯を讃ふ」。

 

五稜郭公園

道南で花見と言えばジンギスカン。ジンギスカンには炭火、ということで、あまった炭を処理するための装置が設置されている。

 

五稜郭に関する函館市の説明標識の内容は次のとおり。

 

箱館戦争と特別史跡五稜郭跡

江戸湾から軍艦8隻と共に脱走した榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が箱館に入り、五稜郭を占拠したのは、明治元年(1868年)10月。新政府軍との戦いに敗れ、降伏したのはわずか7ヶ月後のことでした。五稜郭は新政府軍に明け渡され、戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争の終結とともに、長い間続いた封建制度がここで終わりを告げました。日本の新しい時代が始まったのです。

 

HAKODATE BATTLE AND THE SPECIAL HISTORIC SITE “FORT GORYOKAKU”

The warriors of the fallen Tokugawa Shogunate led by Enomoto Takeaki escaped from Edo with a fleet of 8 warships, reached Hakodate and occupied Fort Goryokaku in October 1868. These forces were defeated by the Japanese Imperial Army and surrendered to them just seven months later. Fort Goryokaku was taken over by the Japanese Imperial Army and thus with the end of Boshin War and signified the beginning of a new era in Japan.

 

 

五稜郭特別史跡 五稜郭跡(五稜郭公園)

箱館奉行が、蝦夷地(北海道)を統治するために、役所を新築する敷地として整備した洋式の城郭です。5つの突角をもつ星型であるところから五稜郭と呼ばれています。

蘭学者武田斐三郎の設計で安政4年(1857年)着工。

元治元年(1864年)完成。昭和27年3月、国の特別史跡に指定されました。

THE SPECIAL HISTORIC SITE “FORT GORYOKAKU” (GORYOKAKU PARK)

This fort was made by the commissioner of Hakodate as the site for a new office which governed Ezo (Hokkaido). “Goryokaku” named after its pentagonal star shape was western style fort desinged by Takeda Ayasaburo, a Japanese scholar of Dutch studies. Building started in 1857 and was completed in 1864. It was designated as a national special historic site in March 1962.

 

 

榎本武揚榎本武揚

天保7年〜明治41年(1836年〜1908年)。江戸(東京都)生。オランダ留学後、幕府海軍副総裁。慶応4年(1868年)旧幕府脱走軍を率いて品川沖を出発し、五稜郭を占拠しました。

ENOMOTO TAKEAKI (1836-1908)

Born in Edo (Tokyo) and having studied in the Netherlands, he became the Vice Admiral of the Shogunate Navy. Leading the warriors of the fallen Tokugawa Shogunate, he escaped from off-shore of Shinagawa in Edo Bay in 1868 and occupied Fort Goryokaku.

 

土方歳三土方歳三

天保6年〜明治2年(1835年〜1869年)。武蔵国(東京都)生。近藤勇らとともに新撰組を結成。仙台で榎本等と合流し、脱走軍では陸軍奉行並となります。明治2年5月11日箱館の一本木関門(現若松町)付近で戦死。

HIJIKATA TOSHIZO (1835-1869)

Born in Musashi (Tokyo). He organized “Shinsengumi” with Kondo Isami and others. After joining Enomoto’s forces in Sendai, he became the vice-commander of grand unit in the forces. He was killed in battle near “Ippongikanmon” (now Wakamatsu-cho) on May 11th, 1869.

 

箱館奉行所箱館奉行所

当初、箱館奉行所は函館山山麓にありましたが、開港後、内陸の亀田(現五稜郭町)に五稜郭を築き奉行所を移転させました。

写真は慶応年間(1865〜1868年)のものです。

COMMISSIONER’S OFFICE OF HAKODATE (HAKODATE BUGYOSYO)

At first, the commissioner’s office was located at the foot of Mt.Hakodate. After the opening of Hakodate Port, the office was relocated to inside Fort Goryokaku, in-land Kameda (now Goryokaku-cho). This photograph was taken in the period of Keio (1865-1868).

函館市 CITY OF HAKODATE

 

特別史跡五稜郭跡

昭和27年3月29日指定

五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。稜堡とよばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。

安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終結する箱館戦争の舞台となりました。箱館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。

五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに、幕末期の洋学採用の一端を示すものとして学術上きわめて価値が高いことから、北海道で唯一の国の特別史跡に指定されています。

 

Special National Historic Site, Goryokaku

Designated on March 29, 1952

Fort Goryokaku was built to guard Hakodate Magistrate’s Office at the end of Edo period when Hakodate port was opened to international trade. Takeda Ayasaburo, a scholar of Dutch studies and a lecturer of School of Various Arts subordinated to the magistrate’s office, modeled this fort after medieval European fortified cities, With its five bastions pentagonally located, the fort came to be known as Goryokaku. Inside Goryokaku was built the magistrate’s office in the traditional Japanese style as well as 20 other buildings and structures appertaining to it.

The construction started in 1857 and was completed in 1864, when the magistrate’s function was transterred here to serve as the administrative center of Ezo region. After the Meiji Restoration, it continued to be used as an administrative office by the new Meiji government. In 1868, Goryokaku was occupied by the forces of soldiers headed by Enomoto Takeaki who were loyal to the old shogunate regime. As a result, the fort became the stage of the Battle of Hakodate that ended in May of the following year. After the battle, however, most buildings inside the fort were dismantled by the Development Commission in 1871. It has been open to public as a recreation area since Taisho period.

Its earthworks being intact, Goryokaku is important for the study of old Japanese fort structure. It is also of high historical value as an example of early adoption of Western technologies and, therefore, Goryokaku was designated as a Special National Historic Site, the only one in Hokkaido.

 

 地図:Google Map 


五稜郭公園(2007年)

今年の東京の桜は終わってしまったが、北海道ではこれからが本番。

道南ではゴールデンウィーク頃が見頃だろうか。

以下の写真は2007年に撮影した五稜郭公園。

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。正面の五稜郭タワーには鯉のぼりが泳ぐ。

 

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。

 

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。

 

 

武田斐三郎先生顕彰碑

2007年5月4日撮影。五稜郭公園内の「武田斐三郎先生顕彰碑」。五稜郭築城に貢献した人物。

 

函館市による説明文は以下のとおり。

 

五稜郭築城設計及び監督箱館奉行支配諸術調所教授役

武田斐三郎(たけだあやさぶろう)先生顕彰碑

五稜郭は我が国はじめての洋式築城で安政4年着工、7年の歳月を費して元治元年(1864)に竣功した。

のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争の本城となった。築城100年記念に当ってこの碑を建てた。

昭和39年(1964)7月18日 函館市

 

 

 

兵糧庫

2007年5月4日撮影。物資備蓄に用いられた兵糧庫。

 

市教委による説明は以下のとおり。

 

 

兵糧庫(ひょうろうこ)

構造 土蔵造 平屋建

規模 間口 21.82m(12間)

奥行 9.1m(5間)

面積 198.34㎡(60坪)

この建物は、「兵糧庫」といい、食糧等物資を備蓄するために造られた土蔵造の建物で、元治元年(1864)五稜郭が築城された当時のものです。

当時、五稜郭内には箱館奉行所庁舎、土蔵厩舎があり、また、郭外には奉行所に勤務する人々の役宅がありました。

明治元年(1868)10月、旧幕臣榎本釜次郎(武揚)等が五稜郭を占拠した際(箱館戦争)も使用されましたが、郭外の役宅は翌2年、戦火にあい焼失し、郭内の建物も同4年開拓使の手により解体されました。

この「兵糧庫」だけは解体をまぬがれ、長い間の風雪にも耐えてきたのですが、老朽化が著しいため平成13年から平成14年にかけて、復元工事を実施し、現在に至っております。

函館市教育委員会

 

 

玄関式台

2007年5月4日撮影。玄関式台。奉行所で使われていたものではないらしい。

以下説明板の内容。

 

玄関式台

この「玄関式台」は従来「箱館奉行所内玄関式台」と伝えられてきましたが、平成17年度の解体調査によって「箱館奉行所内玄関式台」ではないことが分かりました。

「玄関式台」とは、現在の住宅でいえば玄関前のポーチ部分の屋根にあたります。

この「玄関式台」は旧函館税関の海側に面した玄関に使用されていたものです。明治43年の改築の際に払い下げされ、斉藤家が買い受けて大正9年に弁天町の家屋新築の際に利用しました。その後昭和43年に旧斉藤家からこの場所へ移築しました。