函館一覧

『延叙歴検真図』と『北海道歴検図』

幕府の役人、目賀田守蔭がまとめた『延叙歴検真図』という鳥瞰図。全道、樺太までの調査結果が鳥瞰図として掲載されており、北斗市も有川村、矢不来、茂辺地村、當別村、三石村の記載があります。

明治4年に開拓使からの要請を受けて、『延叙歴検真図』を清書して提出したのが『北海道歴検図』らしいです。

※2016/12/25 アクセス。


居酒屋祐介@七重浜

居酒屋祐介@七重浜

居酒屋祐介@七重浜

先週行ってきた北斗市七重浜の居酒屋祐介。沖縄企画が開催されており、南国の味を堪能させていただきました。あと、初めて飲んだ日本酒「函館奉行」。これがまた美味かった。なんとも爽やかな風味のお酒でして、ついつい飲み過ぎてしまいます。また行きたいです。

 

 


函館の四天王

函館の基礎造りには多くの民間活力が注がれた。有力者然り、一般市民然り。


四天王像

2001年10月15日撮影。


四天王像碑文

2001年10月15日撮影。


碑文の内容は次のとおり。


四天王像

函館四天王像 市民精神の源流

明治の函館は本州の都市のように、旧藩の遺産も恩恵もなく従ってその束縛もなく市民は自主的に市民精神を養い、経済の発展を計り進んだ都市造りをした。造船所、器械製作所等の重要産業を興すと共に日刊新聞の刊行、学校、病院、水道、公園をはじめ、恵まれない人々のための教育、医療施設にいたるまで力を尽くした。明治、大正には東京の文化は東北を素通りして北海道へ渡ったと言われたが、その北海道とは函館のことである。その繁栄は、平田文右衛門はじめ四天王と言われた人々の合議によって昔の泉州の堺港とくらべて明治の自由都市の函館と称する人もある。人口は終戦前まで常に全国第10位前後であった。

四天王とは次の4人である像の向って左より


今井市右衛門

天保7—明治20年 1836—1887

石川県能登の生まれ、若くして当地に来たり西洋雑貨の店舗を開く、また、北海道最初の新聞社の北溟社を創立した。医師と共同で福祉事業の育児会社や恵まれぬ人のための鶴岡学校を創立する等多くの私財を投じて少しも惜しまなかった。

平田文右衛門

嘉永2—明治34年 1849—1901

函館生まれ、呉服太物商。函館繁栄のため造船所、器械製作所、学校、病院、新聞社の設立等四天王の功績は多くこの人が主唱し計画、実行に誤りがなかった。区の財産造成にも大功があった。没後、区会の決議により肖像を議事堂に高く掲げてその徳を顕彰した。

渡邉熊四郎

天保11—明治40年 1840—1907

大分県竹田の生まれ、明治2年金森洋物店を開きて世界各国の商品を普及、書店を開きて文化に尽くし海運業を計りて貿易に貢献、また巨費を投じて函館病院を再建、2代3代にわたり私財にて育英的な人材を養成したボーニ森屋デパート金森商船は遺業の一部である。

平塚時蔵

天保7—大正11年 1836—1922

青森県田名部の生まれ、函館平塚家の養子、呉服太物、西洋雑貨の販売を業とした四天王の一人として公共事業に尽くし、私財を投じては慈善事業に貢献、四天王のうち最も長命、後輩の指導に尽くした。


この4人は当時の区長常野正義と共に明治14年制定の藍綬褒章第3号から第7号まで受けた。

建設期成会

昭和57年10月9日





函館市公民館

護国神社坂の途中にある函館市公民館は、石館友作の寄付により昭和8年に函館青年会館として建てられた。

白壁が美しく、内装も歴史を感じさせる建物。この建物や函館公園の例など、函館の発展を支えたのは個人や篤志家の力が大きいように思われる。

 

函館市公民館

2008年9月15日撮影。

 

函館市公民館

2008年9月15日撮影。


トラピスチヌ修道院(2008年)

函館を代表する観光スポットであるトラピスチヌ修道院。

北斗市のトラピスト修道院が男子修道、こちらは女子修道院。

観光地ながられっきとした修行の場であるため、修行の邪魔とならないような注意を払い、敬意をもって拝見すべき厳かな場所。

駐車場の声かけが少し残念だったような・・・(今はどうなっているか分かりませんが)

 

トラピスチヌ修道院

2008年9月6日撮影。

 

トラピスチヌ修道院

2008年9月6日撮影。

 

函館市設置の観光標識の内容は次のとおり。

巌律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院
天使の聖母トラピスチヌ修道院は、明治31(1898)年、フランスのウプシーにある修道院から8名の修道女が来たのが始まりである。キリスト教伝道のためには、修道院の精神的援助が必要であると、函館教区長ベルリオーズ司教が要請していたものであった。
草創期の修道女たちの生活は困難を極め、それを見かねたフランスから、引き揚げが伝えられるほどであった。
現在の建物は大部分が大正14(1925)年の火災後、昭和2(1927)年に再建されたものである。
函館市
THE TRAPPISTlNE CONVENT organized by Citeaux Order
Our Lady of the Angels’ Convent, The Trappistine Convent, was founded in 1898 by eight French nuns who came from the convent in Ubexy (France). Bishop Berlioz of the Hakodate diocese asked them to come because he felt there was a great need to spread Christianity.
The nun’s living conditions at the beginning were very poor, so much so, that the headquarters in France was considering to recall their nuns.
Most of the present building was reconstructed in 1927 after being burnt down in 1925.
CITY OF HAKODATE

元町配水場(2008年)

国内では横浜に次ぐ古い近代水道。さらに、日本人の設計・工事によるものとしては国内最古の施設である。

 

元町配水場

2008年7月21日撮影。

 

元町配水場に関する函館市設置の観光標識の内容は以下のとおり。

函館の上水道
函館の水道は、明治22年(1889年)に完成した日本で二番目の近代水道である。日本最初の水道は横浜で、これは外国人の設計監督により明治20年(1887年)に完成した。日本人の工事監督によるものとしては、函館の水道が日本で最初のものであり全国的に有名である。函館は昔から水利の便が悪く、また津軽海峡に突き出た地形のため年間を通して風が強く、火災が発生するとたちまち大火となり、多くの犠牲者がでたこと、さらに明治19年(1886年)市内にコレラが大流行し、842人に及ぶ市民が死亡したことなどが契機となって、水道建設の要望が一層高まり、明治21年(1888年)念願の一大事業が着工された。
ここは、創設の時つくられた配水池がある「元町配水場」で、市街地北側にある赤川の高区浄水場から11Kmの送水管によりこの配水場に送られてきた水を市内西部地区に供給している。 函館の水道施設は、創設から6回にわたる拡張工事を行い、現在30万人の函館市民に清浄な水を供給している。函館市

Hakodate Waterworks
Hakodate waterworks was completed in 1889 and the second in Japan. The first waterworks was in Yokohama, and was designed and supervised by foreigners in 1887. Hakodate’s waterworks is famous because it was designed and constructed by the Japanese for the first time. Before 1889, Hakodate”s public water system had not been the best. Hakodate is located on the Tsugaru strait. The winds that blow off the strait have caused many disastrous fires. Many people lost their lives fighting these fires. In 1886、 842 people died of cholera, which caused a cry from the people for a new waterworks to be built in 1888. The distributing reservoir in Motomachi supplies water to the west area of Hakodate through a 11 kilometerwaterpipe, from the Akagawa filtration plant at the north of the urban area. Hakodate’s water service has had six extensions and now supplies about 300,000 citizens with clear water. CITY OF HAKODATE

 

土木遺産の碑

2008年7月21日撮影。

 

土木遺産に関する碑の内容は以下のとおり。

土木学会選奨土木遺産
〜函館市の水道施設群(元町配水場)〜

土木学会の選奨土木遺産は、建設後、半世紀以上を経過した、高い価値のある歴史的土木施設を称えるもので、この元町配水場は、函館市の水道施設群として笹流ダムとともに平成13年度の選奨土木遺産に認定されました。

元町配水場には、明治22年(1889)完成の中区配水池と明治29年(1896)完成の高区配水池があり、どちらも建設後100年以上を経過しています。
特に、中区配水池は、日本人(平井晴二郎氏:後の鉄道庁総裁)の設計監督による最初の近代水道の施設で、現在もその役割を果たしている日本最古の配水池です。
この配水場から配られる水は、函館市西部方面の市民が利用しています。

噴水塔

2008年7月21日撮影。

噴水に関する碑の内容は以下のとおり。

淸泉滾滾(せいせんこんこん)
函館の水道は、明治22年(1889)9月20日、日本で2番目の近代水道として、この配水池から通水を開始しました。上段の噴水塔は、これを記念して当時鋳鉄管を納入した東京のイリス商社から寄贈された噴水塔のレプリカです。
銘文の「淸泉滾滾」は、通水式当日の函館新聞に掲載された祝詞の一節「幾多の財をなげうち幾多の心労を積み赤川の水流を導き来って当市を横流せしめ滾々たる淸泉ここに噴出するを見るに至る」より引用したものです。
これからも函館の水道が、淸水のようにこんこんとわき出て永遠に街を潤していくことを願い、平成元年(1989)函館水道創設100周年を記念してこの噴水池を建設しました。

 

管理棟

2008年7月21日撮影。現在も管理事務所として利用されている煉瓦造りの建物。


護国神社坂(2008年)

護国神社坂

2008年7月21日撮影。護国神社坂。植栽もきれいに整備されており、正面に護国神社の鳥居が見える。

 

坂の案内板の内容は以下のとおり。

 

護国神社坂(ごこくじんじゃざか)
別名「汐見坂」ともいい、昔は「招魂社の坂」とも「倒産坂」ともいった。汐見坂は坂上に汐見町ができ、その町名からとったもの。招魂社の坂は明治2年(1869年)に建立された招魂社(現護国神社)に登る坂ということから呼ばれ、現在の名になった。倒産坂は坂に面して門を立てると罰が当たって”かまど”がつぶれるといわれ,昔は門を坂に面しないようにした。

GOKOKUJINJA ZAKA SLOPE
Another name for this slope is ”Shiomi Zaka. ” In days gone by this slope was cal.led ”Shokonsha no Saka” and ”Tosan Zaka. ” It was once named ”Shiomi Zaka” because the area at the upper part of this slope is called Shiomi cho. It was also once called ”Shokonsha no Saka” because at the top of this slope is a shrine Shokonsha (now called ”Gokoku Jinja, or a shrine for the war dead”) which was established in 1869. ”Tosan (bankruptcy) Zaka” came from the saying that if anyone erected a gate facing this slope, he would be destined to go bankrupt because of God”s punishment. Therefore, people tried to observe this tradition. CITY OF HAKODATE


スポンサーリンク