「 函館市 」一覧

史跡 志苔館跡

史跡 志苔館跡

2018年10月20日撮影。 説明板 史跡 志苔館跡 昭和9年8月9日史跡指定 昭和52年4月27日史跡追加指定 志苔館跡は、函館市の中心部から約9キロメートル離れた標高25メートル程の海岸段丘南端部に位置している。 西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができる。 館跡...

外国人墓地(プロテスタント墓地)

外国人墓地(プロテスタント墓地)

2018年10月8日撮影。 説明板 外国人墓地(プロテスタント墓地) 誰というとなくこの墓地を外国人墓地と呼んでいますが、必ずしも外国人ばかりでなくキリスト教徒である日本人の墓も混じっています。 しかし、当時函館で他界した外国人は、ほとんどこの墓地に埋葬されていることから、外国人墓地の名ができたのでしょう。 古くは、安政元年(1854)4月ペリーが艦隊を率いて来航...

万平塚

万平塚

場所は地蔵寺入り口。万平なる人物についての詳細は不明。 2018年10月8日撮影。 説明板 万平塚 石川啄木の歌に、「むやむやと 口の中にてたふとげの事を呟く 乞食もありき」というのがあるが、この乞食こそ明治から大正にかけての函館の名物男で名を万平といった。 ユーモアがあり、人から恵んでもらわない気骨のある乞食で、毎朝ゴミ箱を探し歩き、その家の人物評を日記風に書...

有無両縁塔

有無両縁塔

地蔵寺の入り口に建てられている有無両縁塔は、元治元(1864年)に、遊郭の経営者たちが引き取り手のない遊女などを供養するために合同で建立したものです。 2018年10月8日撮影。 説明板 有無両縁塔 この「有無両縁塔」は、元治元(1864年)に、当時の遊郭の経営者たちが、引き取り手のない遊女などを供養するために、合同で建立した供養塔である。 かつて山ノ上...

立待岬

立待岬

2018年10月7日撮影。 説明板 立待岬 この地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せするところ、すなわち、ここで魚を獲ろうと立って待つ)に因むという。 18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、警備のため、ここに台場が築かれたことがあった。また、第二次世界大戦中は、要塞地帯法により市民は立ち入りを禁じられていた。 現在は、津軽海峡を望む景勝地として、多くの観光...

亀田八幡宮例大祭

亀田八幡宮例大祭

15年ぶりの亀田八幡宮例大祭。まだ明るいうちから。函館に来て、最も祭らしい祭だと感じています(函館八幡宮のお祭りは行ったことがないのですが。)。 亀田八幡宮、旧社殿は函館最古の建物だったはず。人が多く写真は撮らず。

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

2018年6月30日撮影。 説明板 日本最初の洋式帆船「箱館丸」 幕府は、安政元年3月、日米和親条約を締結、下田箱館の2港が開港されることとなった。 箱館奉行所では、幕府に対し蝦夷地の警備および、開港に伴う外国船舶との交渉上、奉行所所属の船舶が必要となり、箱館で造ることを申請し許可されたため船大工續豊治に造船の命令をくだし、安政4年11月完成、...

高龍寺の蠣崎波響筆「釈迦涅槃図」を見てきました

高龍寺の蠣崎波響筆「釈迦涅槃図」を見てきました

夷酋列像で知られる波響の釈迦涅槃図。今年は、本日まで一般公開されており、見ることができました。年に一度、4/1〜4/15に公開されますので、関心のある方は来年の日程にご留意ください。 実物を見るのと、写真を見るのとでは受ける印象が全く異なるものです。 文化遺産オンライン>釈迦涅槃図蠣崎波響筆

遺愛のクロッカスが満開でした(2018年)

遺愛のクロッカスが満開でした(2018年)

毎年楽しみにしている遺愛学院のクロッカス。今年も満開、綺麗に咲いてました。 しとしとと 雨しとしとと 春の雨(日野草城) 夕方から雨降りです。Wikipediaによれば、クロッカスは「開花した花に水がかかると溶けるように縮んで萎れてしまう」とあります。この雨で、かなり萎れてしまいそうです。 Wikipedia>クロッカス