函館市一覧

2012年、五稜郭公園の桜

今年の桜開花時期は悪天候が続いたため、例年混雑する五稜郭公園も閑古鳥が鳴く有り様。今日はようやくの晴天、ゴールデンウィーク最終日ということもあり、多くの花見客が見込まれる。

混雑前の早朝の時間帯を狙って、一足先に五稜郭公園の桜を拝見してきた。

 

2012年5月6日撮影。

五稜郭公園の桜

五稜郭公園の桜

五稜郭公園の桜

五稜郭公園の桜

 

地図:Google Map

 


麺屋伊吹

函館市港町のラーメン店、麺屋伊吹。場所は北大水産学部前のラッキーピエロの隣。

今日は伊吹醤油を頂いたのだが、歯ごたえのある麺、分厚い炙りチャーシューが最高だった。

麺屋伊吹

 

麺屋伊吹

場所:Google Map


昭和公園(函館市)

平成11年3月開設の公園。眺めのよい丘、水遊び場、大型の遊具等があり、子ども連れで賑わう人気スポット。

また、テニスコートやバスケットコートも整備されているため、若者にも人気がある。

 

昭和公園

2007年8月19日撮影。公園の真ん中にある小高い丘。「見晴らしの山」という名前があるらしい。

 

昭和公園

2007年8月19日撮影。

 

昭和公園

2007年8月19日撮影。水遊びできる場所。

 

昭和公園

2007年8月19日撮影。丘の上から。写真右奥の建物は休憩施設。

 

昭和公園

2007年8月19日撮影。大型の遊具。

 

 


四稜郭

五稜郭と比較して知名度はかなり低い四稜郭。五稜郭同様箱館戦争の舞台となった場所。2008年訪問。

 

四稜郭

2008年6月15日撮影。なかなか場所もわかりにくいが、この標識が目印。

 

四稜郭

2008年6月15日撮影。駐車場。

 

四稜郭

2008年6月15日撮影。土塁。

 

四稜郭

2008年6月15日撮影。説明板の内容は以下のとおり。

 

史跡 四稜郭

昭和9年1月22日史跡指定

明治2年(1869)春、五稜郭にたてこもる旧幕府脱走軍は新政府軍の攻撃に備えて各地に防御陣地を築いたが、五稜郭の背後を固めるため、その北方約3キロの緩斜面台地にも洋式の台場を急造した。

これが四稜郭である。

四稜郭は、蝶が羽を広げたような形の稜堡で、周囲に土塁と空壕をめぐらし、郭内(面積約2,300平方メートル)には、四隅に砲座を設けたが、建物は造らなかった。

なお、地元の言い伝えによると、旧幕府脱走軍は士卒約200名と付近の村民(赤川・神山・鍛冶村)約100名を動員して、昼夜兼行で数日のうちにこの四稜郭を完成させたといわれている。

明治2年5月11日、新政府軍は箱館総攻撃を開始した。

同日未明、新政府軍の岡山藩・徳山藩の藩兵は赤川村を出発し、四稜郭の攻撃を開始した。松岡四郎次郎率いる旧幕府脱走軍は四稜郭の防御に努めたが、新政府軍には福山藩兵も加わり、さらに長州藩兵が四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領したため、退路を断たれることを恐れた旧幕府脱走軍は五稜郭へと敗走した。

5月18日には、五稜郭が開城され、榎本武揚以下が降伏して箱館戦争は終わった。

函館市

文部省

 

四稜郭

2008年6月15日撮影。四稜郭の柱碑。

 

四稜郭

2008年6月15日撮影。四稜郭内部からの土塁。

 

四稜郭

2008年6月15日撮影。

 

函館市教育委員会による保存に係る注意説明は以下のとおり。

 

史跡四稜郭の保存について

旧幕府脱走軍の降伏という形で箱館戦争が終結した後、四稜郭はかなり荒廃がすすんでいました。しかし、昭和9年に史跡に指定されて以来、地元の人たちをはじめ、市民の手厚い保護を受けて、今日までその原形を保つことができました。

函館市では、この史跡保存に万全を期すため、昭和44年度から47年度にかけて、国・道の補助を受け、土塁の修復等の環境整備工事を実施したところですが、さらに平成2年度において、あずまや等の施設を設置し、この史跡を歴史学習や市民の憩いの場として、広く利用していただけるよう整備いたしました。

この貴重な国民的財産である史跡を私たちの手で保存し、後世に伝え残していくために、次のことを守ってください。

一、土塁等に登らないこと

一、木の枝を折ったり、芝生をいためたりしないこと

一、自転車、バイク、自動車等を乗り入れないこと

一、火気を使用しないこと

一、ゴミは捨てないで持ち帰ること

函館市教育委員会

 


ペリー会見所跡

姿見坂を電車通りを越えて下るとペリー会見所跡の標柱がある。

 

ペリー会見所跡

2008年2月10日撮影。函館市設置の観光標識の内容は次のとおり。

 

ペリー会見所跡

安政元(1854)年3月、アメリカ海軍提督M.C.ペリーは、幕府との間に日米和親条約を締結し、その直後、5隻の艦船を引きつれて箱館に入港した。ペリーは、この地にあった有力商人山田屋寿兵衛宅で、松前藩家老松前勘解由らと会見し、市中の調査や、港内測量などを行って箱館を去った。

この図は、ペリー著「日本遠征記」の挿し絵のなかの一つで、会見の模様を描いたものである。

函館市

 

THE PLACE WHERE COMMODORE PERRY INTERVIEWED

In March 1854 Commodore Matthew C. Perry of the U.S. Navy concluded a peace and amity treaty with the Shogunate. Soon after this he visited Hakodate with his squadron of five ships. In Hakodate, Perry met with Matsumae Kageyu, the cheif retainer of the Matsumae clan and other officials at the house of Yamadaya Juhei, an influential merchant.

After looking around the city and surveying the harbor, they left Hakodate.

This illustration found in Perry’s “Expedition to Japan ( Nippon Enseiki ) ” shows what the meeting was like.

CITY OF HAKODATE


大船遺跡

縄文時代中期の大規模集落跡である大船遺跡。

旧南茅部町地区の小高い丘の上に位置している。

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。説明板の内容は以下のとおり。

 

ようこそ大船遺跡へ

大船遺跡は、今から5〜4千年前(縄文時代中期)の集落跡です。ここは、海の幸、豊かな噴火湾や、温泉の湧く大船川などの自然に恵まれ、縄文時代の人人の生活には最適な土地でした。

平成8年に調査を開始し、これまで100軒以上の竪穴住居、食料の貯蔵穴やお墓などの土坑60か所以上が見つかり、大きな縄文の集落であることがわかりました。

出土した遺物も非常に多く、クジラやマグロ、クリやヒエなど当時の食料も見つかっています。

現在は、雪や霜などで遺跡が崩れるのを防ぐため一時的に埋めもどし、代表的な住居だけを展示しています。どうぞ、ご自由に見学してください。

 

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。

 

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。説明板の内容は以下のとおり。

 

国指定史跡 大船遺跡

内容 縄文時代中期(約5〜4千年前)の集落跡

指定面積 71,832.03㎡

指定理由

大船遺跡は、推定千軒をこえる竪穴住居と盛土遺構、山側には貯蔵穴、北側の沢にはシカの落とし穴などが広がっています。

この遺跡は、深く掘り込んだ大型の竪穴住居が特徴です。日常用具のほか、クジラやオットセイの骨、炭化したクリなど、当時の食生活を知る貴重な遺物が出土しています。

指定年月日 平成13年8月13日 文部科学省告示第138号

 

 


北方教育資料館

北海道教育大学函館校内にある北方教育資料館。夕陽記念館とも。

教育に関する歴史的資料を収集・展示している。

 

北方教育資料館

2007年5月3日撮影。春の教育大校内。

 

北方教育資料館

2007年5月3日撮影。北方教育資料館。

 

教育大函館校内の桜

2007年5月3日撮影。教育大函館校内の桜。

 

教育大函館校内の桜

2007年5月3日撮影。教育大函館校内の桜。

 

同校の同窓会である夕陽会のサイトに展示資料画像が掲載されている。

 

 

 


五稜郭公園(2007年)

今年の東京の桜は終わってしまったが、北海道ではこれからが本番。

道南ではゴールデンウィーク頃が見頃だろうか。

以下の写真は2007年に撮影した五稜郭公園。

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。正面の五稜郭タワーには鯉のぼりが泳ぐ。

 

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。

 

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。

 

 

武田斐三郎先生顕彰碑

2007年5月4日撮影。五稜郭公園内の「武田斐三郎先生顕彰碑」。五稜郭築城に貢献した人物。

 

函館市による説明文は以下のとおり。

 

五稜郭築城設計及び監督箱館奉行支配諸術調所教授役

武田斐三郎(たけだあやさぶろう)先生顕彰碑

五稜郭は我が国はじめての洋式築城で安政4年着工、7年の歳月を費して元治元年(1864)に竣功した。

のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争の本城となった。築城100年記念に当ってこの碑を建てた。

昭和39年(1964)7月18日 函館市

 

 

 

兵糧庫

2007年5月4日撮影。物資備蓄に用いられた兵糧庫。

 

市教委による説明は以下のとおり。

 

 

兵糧庫(ひょうろうこ)

構造 土蔵造 平屋建

規模 間口 21.82m(12間)

奥行 9.1m(5間)

面積 198.34㎡(60坪)

この建物は、「兵糧庫」といい、食糧等物資を備蓄するために造られた土蔵造の建物で、元治元年(1864)五稜郭が築城された当時のものです。

当時、五稜郭内には箱館奉行所庁舎、土蔵厩舎があり、また、郭外には奉行所に勤務する人々の役宅がありました。

明治元年(1868)10月、旧幕臣榎本釜次郎(武揚)等が五稜郭を占拠した際(箱館戦争)も使用されましたが、郭外の役宅は翌2年、戦火にあい焼失し、郭内の建物も同4年開拓使の手により解体されました。

この「兵糧庫」だけは解体をまぬがれ、長い間の風雪にも耐えてきたのですが、老朽化が著しいため平成13年から平成14年にかけて、復元工事を実施し、現在に至っております。

函館市教育委員会

 

 

玄関式台

2007年5月4日撮影。玄関式台。奉行所で使われていたものではないらしい。

以下説明板の内容。

 

玄関式台

この「玄関式台」は従来「箱館奉行所内玄関式台」と伝えられてきましたが、平成17年度の解体調査によって「箱館奉行所内玄関式台」ではないことが分かりました。

「玄関式台」とは、現在の住宅でいえば玄関前のポーチ部分の屋根にあたります。

この「玄関式台」は旧函館税関の海側に面した玄関に使用されていたものです。明治43年の改築の際に払い下げされ、斉藤家が買い受けて大正9年に弁天町の家屋新築の際に利用しました。その後昭和43年に旧斉藤家からこの場所へ移築しました。

 

 


日本聖公会函館聖ヨハネ教会

特徴的な建物函館聖ヨハネ教会。

 

ヨハネ教会

2007年4月28日撮影。函館市設置の説明板の内容は以下のとおり。

 

日本聖公会函館聖ヨハネ教会

この函館聖ヨハネ教会は、現在、世界聖公会のうちの日本聖公会に属する。明治7年(1874年)英国聖公会海外伝導教会の宣教師W・デニングが函館に来て伝導を開始したのが日本聖公会の北海道伝導の始まりで、同派の道内における宣教活動の根拠地であった。

明治11年(1878年)末広町に初めて聖堂を建てたが、翌年の大火で類焼し、その後も火災などのため幾度か移転した。
度重なる火災による類焼の後、現在の地に再建されたのは大正10年(1921年)の大火後である。

この間、教育(アイヌ学校を始め靖和女学校などの開設)、医療奉仕活動などを活発に行った。現在の建物は、昭和54年(1979年)に完成したもので、上空から見ると十字の形に見えるが、これは中世期のヨーロッパの教会に見られる建築様式を取り入れ近代的なデザインとしてのものである。

函館市

EPISCOPAL CHURCH OF JAPAN HAKODATE EPISCOPAL CHURCH

The Hakodate Episcopal Church belongs to the Episcopal Church of Japan. A missionary W. Denning of the Anglican Church Missionary Society, first came to Hakodate to preach the gospel in 1874, and established a base here.

In 1878 the first sanctuary was built in Suehiro-cho. After many fires, it was rebuilt here in 1921.

During that time the church took an active part in education (starting an Ainu school and the Seiwa Girl”s school etc. ) in medical service and other works of charity. The present building was completed in 1979 and looks like a cross from above. This is a modern design influenced by the architecture of Medieval European Churchs.

The City of Hakodate

 


函館公園

本当の意味で市民の手による公園。

 

 

函館公園

2007年4月30日撮影。

 

函館公園

2007年4月30日撮影。函館市設置の説明板の内容は以下のとおり。

 

 

登録記念物(名勝地)

函館公園

平成18年1月26日登録

(登録基準)名勝地関係(一)(造園文化の発展に寄与しているもの)

明治12年(1879)、津軽海峡を望む函館山の南東麓の景勝地に函館公園が開設されました。公園の開設に当たっては、函館駐在英国領事のユースデンの提言に基づき、地元の商人である渡辺熊四郎などが多くのの人々から寄付金を集め、自らの資財をも投げ打って尽力しました。

函館公園開設に関する特質の第一は、工事監督に当たった浅田清次郎をはじめ多くの市民が、寄付金集め、草花の栽培・手入れ、土運びの勤労奉仕を行うなど、活発な住民参加により開設の準備作業が進められたことにあります。特質の第二は、開設に合わせて園内に開拓使函館仮博物場(旧函館博物館1号)が竣工したのをはじめ、明治17年には函館県博物場第二博物場(旧函館博物館2号)、昭和3年には市立函館図書館が開館するなど、公園が文化施策としての役割を果たしたことです。さらに特質の第三は、昭和13年に園内に北海道で最初の公共動物飼育施設が設置され、昭和31年に遊技施設である「こどものくに」が開設されるなど、多くの文化・教育・行楽の施設が、開設当初の地形・地割が残る造園空間の中に溶け込み、付加されてきたことです。

このように、函館公園が持つ公園史上の意義は深く、現在もなお当時の地形・地割をよく残し、風致に富んだ優秀な景観が造園文化の発展に十分寄与している理由により、文化財登録原簿に登録され保護が図られることになりました。

平成18年3月31日

函館市教育委員会

 

 

函館公園

2007年4月30日撮影。現役の観覧車として国内最古のもの。