函館市一覧

有無両縁塔

地蔵寺の入り口に建てられている有無両縁塔は、元治元(1864)年、遊郭の経営者たちが、引き取り手のない遊女などを供養するために合同で建立したものである。

有無両縁塔

有無両縁塔

有無両縁塔

有無両縁塔

  • 2018年10月8日撮影。

説明板

有無両縁塔

有無両縁塔
 この「有無両縁塔」は、元治元(1864年)に、当時の遊郭の経営者たちが、引き取り手のない遊女などを供養するために、合同で建立した供養塔である。
 かつて山ノ上町と呼ばれた界隈(現在の船見町周辺)には、多くの遊女屋があって賑わっていたが、箱館奉行が安政5(1868)年に、その一画を山ノ上遊郭として公認してからは、整備も進んでいった。さらに、翌年の開港に伴い、日本各地の商人や外国人の往来が盛んになり、遊郭も一層の賑わいをみせるようになった。
 この碑は、開港という新しい時代の陰に、遊郭で働き、ここで生涯を終えざるを得なかった女性たちがいた事実を残すもので、台石には建立者たちの名が刻まれている。
函館市
MONUMENT OF UMU RYOENTO
This monument called “Umu Ryoento” was erected in 1864 in repose of abandoned women who worked in the “red light” districts. Funds for this monument were donated by those who managed prostitute houses.
In days gone by in a town called Yamanoue-cho (a neighboring area, now named Funami-cho), there was a lively red-light district. After the Hakodate magistrate granted a license and named this area the Yamanoue prostitute quarters in 1868 (Ansei 5), those houses renewed their quarters for the promotion of business.
Moreover, Hakodate port’s opening to foreign trade in 1869, brought visitors from every land and these quarters did a thriving business.
This monument reminds us of the fact that in the shadows of the port opening’s new age there existed women who had no choice but to work and end their lives here as prostitutes. The names of the donators are engraved on the pedestal.
CITY OF HAKODATE

参考


立待岬

立待岬

立待岬

立待岬

  • 2018年10月7日撮影。

説明板

立待岬

立待岬
 この地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せするところ、すなわち、ここで魚を獲ろうと立って待つ)に因むという。
 18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、警備のため、ここに台場が築かれたことがあった。また、第二次世界大戦中は、要塞地帯法により市民は立ち入りを禁じられていた。
 現在は、津軽海峡を望む景勝地として、多くの観光客が訪れている。
 近くには石川啄木一族の墓や与謝野寛・晶子の歌碑もある。
函館市
CAPE TACHIMACHI (“YOKO-USHI” ORIGINAL AINU PLACE NAME)
 TACHIMACHI is derived from the Ainu name for this cape “YOKOUCHI.” YOKOUSHI means “the place where people stand and wait to catch fish.” The present Japanese name is thus a translation of the Ainu words, YOKO (to stand and wait for prey to come) and USHI (place), thus, the Japanese “Tachi” “Machi.”
 At the end of the 18th century when Ezochi (Hokkaido) became a place under the direct control of the Tokugawa Shogunate, the shogunate built a fort in this area. During World War II, citizens were prohibited to enter this mountain area because of the Fortified Zone Law.
 Currently, many tourists visit here as a scenic spot to command a great view of the Tsugaru Straits. The poem monument of Yosano Hiroshi & Akiko and the tomb of the Ishikawa Takuboku family can be found very near here.
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洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

  • 2018年6月30日撮影。

説明板

洋式帆船「箱館丸」

日本最初の洋式帆船「箱館丸」
幕府は、安政元年3月、日米和親条約を締結、下田箱館の2港が開港されることとなった。
箱館奉行所では、幕府に対し蝦夷地の警備および、開港に伴う外国船舶との交渉上、奉行所所属の船舶が必要となり、箱館で造ることを申請し許可されたため船大工續豊治に造船の命令をくだし、安政4年11月完成、船名を「箱館丸」とした。
日本造船界に偉大なる貢献をもたらしたこの「箱館丸」は、日本人の創造設計による日本で最初に造られた洋式帆船であり箱館(函館)の人により箱館(函館)で造られたことに意義深いものがある。
續一郎・弘前市立弘前図書館・市立函館図書館資料提供

寄贈者

洋式帆船「箱館丸」

寄贈者
三笠市 続 博(設計建造者 続 豊治 六代目)
函館市 加藤 曻(函館市功労者)
この箱館丸は青函トンネル開通記念博覧会(昭和63年7月9日〜9月18日)に復元展示されたものを上記の方のご厚意により市に寄贈されたものです。
昭和63年11月19日

日本最初の洋式帆船か

Wikipediaを見ると、江戸幕府建造の「鳳凰丸」の竣工が1854年6月6日であり、箱館丸に3年ほど先行していたものと思われる。

「箱館丸」は日本初の洋式船と説明されることがあるが、君沢形や「鳳凰丸」のほうが先行しており、事実ではない。

「箱館丸」の設計は、ロシア人の指導に基づく君沢形とは異なり、外国人の直接の協力を得ないで行われた。続豊治による外国船調査のデータのほか、箱館の商人である渋田利右衛門所蔵の洋書も参考にされたという。なお、日本人による洋式船の独自設計という点でも初めてではなく、「鳳凰丸」などの先行例がある。

上記については、平山次清氏の論文中でも、以下のように述べられている。

伊豆の戸田にて建造された戸田号(君沢型)は、「ロシア人の設計・建造指導によるは国産洋式帆船」の濫觴、浦賀で建造された鳳凰丸は「純国産の洋式帆船軍艦の濫觴」、といった評価になると思われる。

その他


函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡

函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡

現在は、「ティーショップ夕日」というカフェとして活用されている。

函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡

明治18年(1885年)、内務省は防疫体制の強化を図るため、当時の主要6港(函館、横浜、神戸、下関、長崎、新潟)に日本で最初の常設消毒所を建設しました。函館では現在地に施設が建てられ、唯一残ったこの建物は事務所として使用されたものです。

明治29年(1896年)3月、函館検疫所と改称され業務をおこなってきましたが、特に昭和20年(1945年)には、敗戦により樺太方面などからの引揚者の検疫にあたり、医療や援護にと活躍しました。

昭和43年(1968年)、検疫所は市内海岸町に落成した港湾合同庁舎内に移転し、平成4年にこの施設も廃止されました。

施設の中で唯一残ったこの事務所は、全国的にも数少ない初期港湾施設の遺構として、平成元年に市の景観形成指定建築物となっています。

函館市

THE HAKODATE QUARANTINE OFFICE IN DAI-MACHI (FORMER HAKODATE DISINFECTIONS OFFICE)

In order to strengthen the epidemic preventative measures, in 1885, the Interior Ministry established disinfections facilities in the following major trading ports: Hakodate, Niigata, Yokohama, Kobe, Shimonoseki and Nagasaki. This is where the facility was built in Hakodate. The only remaining building on the site was used as its main office.

It was renamed as the Hakodate Quarantine Office in March of 1896. Especially during the period following the end of the Second World War in 1945, it played an important role in the medical treatment and support of repatriates to Japan from Sakhalin.

The Hakodate Quarantine Office was annexed to the Joint Government Port Building in Kaigan-cho in 1968, and the facility here was demised altogether in 1992.

The building was designnated as a historical building by the City of Hakodate in 1989 and represents as one of the few remnants of early port facility architecture in Japan.

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天下の号外屋翁の墓

天下の号外屋翁の墓

赤墓で有名な信濃助治の墓。相当変わった方だったようです。詳細は、以下の函館市の説明板の内容をご参照ください。

天下の号外屋翁の墓
 信濃助治は、明治27(1894)年6月、衣類・コート・帽子・足袋のはてまで赤ずくめで来函した。
同年11月、日清戦争の頃、彼は北海新聞の号外を函館市民にまいて”天下の号外屋”と称して売り出し、「赤服」と呼ばれていた。
 「赤心」(いつわりの無い心)は日本武道の精髄を表すとして、すべて赤色を用いたとのことである。
 日清戦争終結後は、戦勝記念に名将軍を全国に訪ねて書を頼むなど、奇行の多い人だったので、当時の地元の新聞にも奇人として紹介されている。
函館市
THE GRAVE OF AN EXTRA EDITION NEWSPAPER DISTRIBUTOR
 In June 1894 (Meiji 27) Shinano Sukeji came to Hakodate. He dressed in red from hat to “tabi” socks.
 One day in November of the same year, during the Sino-Japanese War (1894-5) Sukeji distributed Hokkai Newspaper’s extra edition news to the citizen on the street and thus made a name for himself as “An extra edition newspaper distributor”. Eventually, he was called “Akafuku”, or “Mr.Red Clothes”.
 The reason he dressed in red was because in Bushido, the spirit of samurai, the Chinese character “Sekishin”, or “red heart” represented “sincerity”.
 After the Sino-Japanese War, old Sukeji made great effort to visit well-known generals and admirals in every corner of the country to ask for their writings and signatures in celebration of this victory.
 He became well known for his eccentric habits, and the local newspaper introduced him as a man of unusual character.
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