函館市一覧

はこだてグルメサーカス2013(黒石つゆ焼きそば)

はこだてグルメサーカス2013が開催され、函館市内の有名店のほか東北地方からも多数の出店があり、大いに賑わっていた。天候も素晴らしく絶好のグルメサーカス日和である。

私の会場到着時刻が遅くなったため、残念なことに東北地方から出店されている品の多くが「完売」「売り切れ」となっていた。お目当ての八戸せんべい汁もすでにない。

なんとか行列をクリアして食べることができたのが「黒石つゆ焼きそば」。黒石市内でつゆ焼きそばが盛り上がっているという話を聞いたことがあり関心があった。

実際に食べてみると想像していた以上に「つゆ」とソース味の「焼きそば」とが合う。とても美味い。

函館で黒石のつゆ焼きそばを食べることができたのはとても幸運だった。ぜひとも次は黒石市を訪問して味わってみたいものである。


八戸三社大祭ミニ山車@函館駅

函館駅の中央ホールに八戸三社大祭の山車の縮小版が展示されていた。青森県ではねぶた祭と並び代表的な祭のひとつである。

開催日は7月31日から8月4日なので、今年の開催は終わっている。いつか祭の日に八戸を訪れて、その熱気を肌で感じてみたい。

道南の祭では江差町の姥神大神宮渡御祭が最も伝統ある祭だろう。江差町では、この祭をめがけて町を離れた人々が戻ってくるという話を聞いたことがある。町の柱のような存在を、祭が担っているということだろう。

祭には歴史とストーリーがある。そこが「イベント」とは根本的に異なる。

       

山車の前に設置された説明板の内容は次のとおり。

青森県八戸市 八戸三社大祭【日程】7月31日〜8月4日(7月31日前夜祭、8月4日後夜祭)
約290年の歴史と伝統を誇る夏祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。三神社の神輿行列と、豪華絢爛な27台の山車が中心街を運行し、見物客を魅了します。最大で高さ10mにもなる山車には数々の仕掛けが施されており、山車が通る度に沿道は歓声に包まれます。太鼓の連打と絶え間ない笛の音色、さらには子供たちの元気いっぱいのかけ声が独特の情緒を醸し出します。

八戸三社大祭 ミニ山車 1/5縮尺で作成しました。(実物の山車:高さ10m×幅8m×奥行11m)
実物の山車の体積はこの模型の約125倍にもなります。 テーマ:「西遊記」 ありがたい経典を頂くために、天竺へ旅に出かけた三蔵法師、孫悟空、猪八戒、沙悟浄。そこに妖怪女郎蜘蛛姉妹と龍魔女王が襲い掛かる戦いの場、それを天界の神々が見守っている場面です。


幸坂から

函館山に通じる坂。坂から一望できる湾。函館の原風景。

昭和の匂いが強く残っている。



山上大神宮(やまのうえだいじんぐう)

幸坂の終点、旧ロシア領事館の少し先にある山上大神宮。由緒深い神社である。

振り返って見える景色も素晴らしい。

函館市観光標識の内容は次のとおり。

山上大神宮(やまのうえだいじんぐう)
 山上大神宮は、社伝によると今から600年ほど前の応安年間(室町初期)、藤坊という修験者がこの地に渡来し、亀田赤井川村神明山に草庵を結び、伊勢神宮の御霊をいただいたのが始まりと伝えられる。
 その後、明暦元(1655)年5月、尻澤辺村(現在の住吉町)に移し、箱館神明宮と称したとも伝えられる。天和2(1682)年現在の西消防署弥生出張所付近に移転し、明治7(1874)年社名をこの地の山之上町をとり山上大神宮と改称し、明治9(1876)年郷社となった。
 幕末の頃、当宮8代神職であった澤辺琢磨(旧名山本琢磨)は土佐藩士で坂本龍馬、武市半平太とは親類関係にあった。
 また、箱館戦争の時、榎本武揚率いる旧幕府軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所に使用されるなど、歴史的にも由緒ある神社である。
函館市

いか太郎@函館駅前

いか太郎が好き。いわゆる庶民的な居酒屋で、五稜郭にもある。地元客、仕事帰りのサラリーマン、観光客、客層もさまざま。

身内での宴会には最適。刺身も美味い。

 



旧ロシア領事館(函館市船見町)

急な坂の上にある旧ロシア領事館の建物。赤いレンガ造りが美しい。平成8年までは、宿泊研修施設として活用されていたようだが、今では閉鎖されており寂しさを漂わせている。

 

2013年4月21日訪問。函館市の観光標識の内容は次のとおり。

 

旧ロシア領事館

安政元年(1854年)12月の日露通好条約に基づき、安政5年(1858年)9月初代領事ゴシケーヴィチ一行が着任、実行寺に領事館を置いた。万延元年(1860年)、元町の現ハリストス正教会敷地内に領事館を建てたが、隣の英国領事館の火災で被災した。

明治36年(1903年)、現在地で領事館の建設が始められたが、翌年の日露戦争で中断し、完成したのは明治39年であった。この建物は明治40年の大火で焼失するが、その直後から同じ場所で再建工事が始まり、同41年暮れに完成した(現在の建物)。

ロシア革命後、大正14年(1925年)からはソ連領事館となったが、最後の領事ザベーリエフが本国に引揚げた翌日の昭和19年(1944年)10月1日、領事館は閉鎖された。

昭和39年(1964年)に外務省から函館市が建物を購入、翌年5月から「函館市立道南青年の家」として近隣町村を含めた青少年宿泊研修施設として使用されたが、平成8年(1996年)7月(函館市青少年研修センター)の開館により、その機能は終了した。

設計はドイツ人建築家のR.ゼールで、レンガ造り2階建ての本館は、玄関に唐破風を用い、日本的な意匠が加味されている。

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称名寺(函館市船見町)

元々は現在のカメハチ付近にあった庵がルーツ。函館を代表する古刹のひとつ。開港の際には外国の領事館としても利用されていた。

 

 

 

 

これは土方歳三及び新撰組隊士の供養碑。

 

2012年4月21日訪問。函館市観光標識の内容は次のとおり。

称名寺

称名寺は、正保元年(1644年)円龍上人が亀田村(現市内亀田八幡宮辺り)に阿弥陀庵を建てたのが始まりといわれており、箱館開港当初はイギリスとフランスの領事館としても利用された古い寺院である。

明暦元年(1655年)阿弥陀堂と称したが、元禄3年(1690年)称名寺を公称し、宝永5年(1708年)亀田の衰退と箱館の繁栄により箱館の富岡町(現・弥生町 弥生小学校)に移転した。

明治12年(1879年)の大火で本堂を焼失し、同14年(1881年)この地に移転した。その後、幾度か大火のため建物を焼失したが、昭和4年(1929年)現在の鉄筋コンクリート寺院が完成した。

境内には河野政通の供養碑をはじめ、高田屋嘉兵衛の顕彰碑、土方歳三と新撰組隊士の供養碑があるほか、北海道最古の石碑として有名な「貞治の碑」(貞治6年2月(1367年)の銘がある板碑で北海道指定有形文化財)が保存されている。

また、墓地には箱館発展のもとを築いた高田屋一族の墓、新島襄の海外渡航を助け日本最初の気象観測所を開設した福士成豊、日魯漁業株式会社創立者堤清六の碑など、著名な人の墓がある。

函館市

 

土方歳三と新撰組隊士の供養碑

土方歳三(新撰組副長)は、榎本軍に加わり、函館で戦死した。その場所は一本木(若松町)、鶴岡町、栄国橋(十字街)など諸説があるが、土方ゆかりの東京都日野市金剛寺の過去帳には、函館称名寺に供養碑を建てた、と記している。

称名寺は、明治期の大火で3回も焼けて碑は現存しないため、昭和48年有志が現在の碑を建立した。他の4名は新撰組隊士で、称名寺墓地に墓碑があったが、昭和29年の台風で壊されたため、この碑に名を刻んだ。

 


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桜開花前の五稜郭公園

桜の開花までもうしばらくの五稜郭公園。ゴールデンウィーク前半の最終日であり、快晴に恵まれたため散歩、ジョギング、そしてバーベキュー客で賑わっていた。

気温も日差しも散歩には最適であった。

 

マグロのぼりが泳ぐ五稜郭タワー。大間の島康子さんの企画。他の鯉のぼりよりも一回り太く、泳ぎも力強い。

 

五稜郭、土塁の先端。高さがあり意外と怖い。

箱館奉行所も観光客で賑わっている。

 

2013年4月29日訪問。


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