函館市一覧

2012 SL はこだてクリスマスファンタジー号

今年も蒸気機関車がやってきた。ということで、さっそくチケットを予約し乗車。

函館駅〜大沼公園駅間、約40分の小旅行。SLに乗っているだけでも十分に楽しいのだが、車掌による乗車券確認のスタンプや、乗車証明書の発行などうれしい特典も用意されている。美人なサンタクロースも。

今年は、12月1日(土)〜12月24日(月・祝)の土・日・祝日、12月25日(火)の運行。残り日数が限られているので、関心のある方はお早めに。

車内から見るSLの蒸気。ススのせいか結構黒い。見ててドキドキするほどの煙の量。

終点は大沼公園駅。洋風な駅舎。

復路は逆向きに。

 

2012年12月3日乗車。


香雪園

秋深まる香雪園。明治31年に作られた日本式庭園。紅葉が素晴らしい。

園亭。公園と溶け込む、美しいつくり。

園亭内部。お茶会などが行われたりしている。

2012年11月4日訪問。


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花かるた

函館市豊川町の花かるた。昭和のレトロな雰囲気を醸し出す建物。日本酒と、それに合う料理もオススメ。

ちなみに、曲がっているのは建物ではない。電柱の方である。

2012年10月8日撮影。


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明治天皇上陸記念碑

公会堂から基坂を下っていくと、明治天皇上陸記念碑がある。青銅製の鳳凰が目印。

2012年10月8日訪問。

 

蝦夷開拓ハ 皇威隆替ノ関スル所

一日モ忽ニス可ラス汝直正深ク国家ノ重

ヲ荷ヒ身ヲ以テ之ニ任センコトヲ請フ其憂

国済民ノ至情朕嘉納ニ堪ヘス独恐ル

汝高年遂ニ殊方ニ赴クコトヲ然レトモ

朕之ヲ汝ニ委ス始テ北顧ノ憂ナカラン仍

テ督務ヲ命ス他日 皇威ヲ北彊ニ宣

ル汝方寸ノ間ニアルノミ汝直正懋哉

明治二年己巳六月四日

 

函館市の観光標識の内容は次のとおり。 

 

明治天皇上陸記念碑

赤御影石の地球儀の上に、青銅の鳳凰が羽を広げた碑は、明治天皇が明治9(1876)年、東北・北海道巡幸で来函の際、旧税関桟橋への上陸を記念したものである。同14年に再び来道の際、小樽から陸路函館へ巡幸し、ここから乗船して青森へ向かった。

明治9年の下船・乗船と同14年の乗船で、計3回となることから、三蹤碑とも呼ばれている。この碑は、函館出身の彫刻家梁川剛一の作で、昭和10(1935)年9月7日に除幕された。同16年に7月20日を「海の記念日」と定めたのは、明治天皇の明治9年の巡幸の際、7月18日に離函し、20日に横浜に帰着したことを記念したものである。平成8(1996)年から国民の祝日「海の日」となった。

函館市

MONUMENT OF EMPEROR MEIJI’S LANDING

This monument, a bronze Chinese phoenix spreading its wings on a red granite globe, commemorates Emperor Meiji’s visit to Hakodate in 1876 when he landed at the pier of Hakodate’s former customhouse, during his visit of the Tohoku and Hokkaido Areas. In 1881 when Emperor Meiji paid another visit to Hokkaido, he first landed in Otaru, made a tour of the island then left by ship from Hakodate to Aomori.

The monument has also been called “Sansyo-hi” meaning “three happy visits” referring to the three times Emperor Meiji visited this pier, i.e., disembarking and boarding the ship in 1876, and once again boarding the ship in 1881. The monument was engraved by Yanagawa Goichi, who was born in Hakodate, and was unveiled on September 7, 1935. On July 20, 1941 “Sea Memorial Day” was established in commemoration of Emperor Meiji’s cruise, leaving Hakodate on July 18 and arriving safely in Yokosuka on July 20. Since 1996, this day has been designated as a National Holiday, “Marine Day.”

CITY OF HAKODATE


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石川啄木の歌碑

函館公園、噴水の奥にある石川啄木歌碑。昭和28年に建立されたもので、石川啄木自身の字を集めて作られたとのこと。

2012年8月18日訪問。説明板の内容は次のとおり。

石川啄木の歌碑

この歌碑は、啄木の青春のあしあと、青柳町時代を記念して昭和28年(1953年)4月に建立された。

全国に数多く点在する啄木歌碑の中でも一番美しいできばえといわれるこの歌碑は、啄木の自筆を集字拡大したものであり、エキゾチックな風情とロマンをもつ街・函館をうたった歌として、広く市民に愛誦されている。

薄幸の詩人、石川啄木が函館に逗留したのは、明治40年(1907年)5月から9月にかけての僅か132日間にすぎない。この間、文芸同人苜蓿社の諸友に囲まれ、文学を論じ、人生を語り心安らぎつつも、自らの若さと夢を思い悲しんだ。


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高田屋の松

函館公園入口にある「高田屋の松」。なんと、高田屋嘉平衛の屋敷内の庭園にあった松で、明治11年頃に移植されたものとか。

高田屋嘉平衛と言えば、淡路出身の豪商で、箱館のまちづくりの基礎を築いた人物であるほか、ゴローニン事件でも広く知られている。また、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の主人公としても描かれている。

彼の屋敷にあった松というだけで、非常に感慨深いものがある。

 2012年8月18日訪問。松の木手前にある説明板の内容は次のとおり。

高田屋の松

北前船による交易によって箱館(当時)を活気づけた高田屋嘉平衛は、享和元年(1801年)屋敷内に壮麗な庭園を造り、一般から高田屋御殿と呼ばれていた。

この庭園にあった「松」は、函館公園の築園と同時期の明治11年(1878年)頃に公園入口に移植されたもので、現在「高田屋の松」又は「鶴亀の松」と呼ばれ、当時の豪勢さを偲ぶに足りる古木である。

昭和47年(1972年)3月25日、北海道保護樹木に指定された。

 


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函館公園の由来

市立函館博物館がある函館公園は、市民の手により作られたという珍しい公園である。

水遊びではしゃぎまわる子ども達の声が響く噴水のわきに、公園の由来が刻まれた碑が建てられている。函館公園開園100年を記念して、昭和53年に寄贈されたものとのこと。

 

2012年8月18日訪問。石碑の内容及び石碑横の説明板の内容は次のとおり。

函館公園の由来

函館公園は市民がこぞって工事に参加し完成させた公園で当時すでに市民のための公園として画期的な事であります 明治初期有志により企画された公園建設が資金の都合で中止となっていたところたまたま明治10年(1877年)函館駐在英国領事ウィリアムユーステンの勧めもあってふたたび建設計画がたてられ浅田清次郎の設計監理により工事が進められて明治12年11月3日(1879年)開園のはこびになりました 園内に植栽されている樹木をはじめ石灯篭 橋 庭石等すべて市民の寄付によるものです

以来1世紀の間市民から愛され市民と共に歩んできました 公園面積4.8ヘクタール施設の主なものとしては樹木約2800本 園路 築山 池 噴水 花壇等に加えて昭和初期以来小規模な動物施設(道内では動物市域の先進となった)が設けられており、また孟宗竹林はここが北限として趣をそえております

 

公園由来の碑

この碑は、函館公園の開園百年を記念して、四ツ柳イシの寄贈により昭和53年(1978年)11月に建立された。

碑石は、福島県産の御影石(幅125cm・高さ175cm)を使用し、碑面には築設当時の築造作業風景が刻まれている。

碑文は、公園築設の由来と概要について説明されている。


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ハーバー遭難記念碑

市立函館博物館への入口にある、明治7年にこの地で斬殺されたドイツ代弁領事ルードヴィッヒ・ハーバーを記念した碑。殺害は排外思想をもつ旧秋田藩士の手によるもの。代弁領事殺害という外交上の大問題に発展する可能性があったものの、ドイツ側の配慮により穏便に解決が図られることとなった。

2012年8月18日訪問。函館市観光標識の内容は次のとおり。

ハーバー遭難記念碑

ドイツの代弁領事ルードヴィッヒ・ハーバーは、明治7(1874)年2月に着任したが、同年8月11日、排外思想を抱き外国人殺害の目的で来函していた旧秋田藩士田崎秀親に、この碑の近くで斬殺された。

犯人は直後に自首、9月に処刑された。幸いドイツ公使館が、単独犯であることや適切な事後処理に理解を示したので重大な外交問題にならずにすんだ。

遺体は、事件の翌日、ブラキストンらにより外国人墓地に埋葬された。

この碑は、大正13(1924)年、甥のフリッツ・ハーバー(ノーベル賞受賞者)を迎えて没後50年祭を開催したときに、旧墓碑を遭難地に移し記念碑としたもので、外国人墓地には同型の新墓碑が建立されている。昭和19(1944)年には日本軍に持ち去られ一時行方不明になっていたが、昭和24年に土中より発見され、ここに建てられた。

函館市

MEMORIAL TO MR.HABER

Ludwig Haber, an acting consul of Germany, arrived at his post in February, 1874. On August 11, near this memorial, he was murdered by Tazaki Hidechika, Samurai of the former Akita clan who had been here for a chance to kill foreigners. He was an anti-foreigner.

Immediately after the murder, Tazaki gave himself up to the police and was executed in Septemer.

Since the murder was committed by a single person and the Japanese government executed the criminal at once, it was fortunate that the German Legation handled the incident in a very calm way and it did not have any serious diplomatic effects.

The day after he was murdered, Blakiston and other buried Haber’s body in the foreign cemetery.

On the 50th Anniversary of his death in 1924, his tombstone was moved from the cemetery to the place of the tragedy and has become his memorial. Haber’s nephew Fritz Haber ( a Nobel prize winner ) attended the unveiling ceremony. In the cemetery, a similar tombstone was erected to replace the original one.

In 1944, the memorial was removed by the Japanese army and had been missing, but it was found in the earth and was again erected here in 1949.

CITY OF HAKODATE


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明治時代のレンガ積みマンホール

ハーバー遭難記念碑側の函館博物館入口を少し進んだところに置かれている古いマンホール。昭和43年につくられ、昭和57年まで電話ケーブル収容設備として使われていたとのこと。レンガの積み方に特徴があるということで保存されているらしい。

一見文化財とは思えない外観。

内部の様子。

 

2012年8月18日訪問。函館電報電話局による説明板の内容は次のとおり。

明治時代のレンガ積みマンホール

このマンホールは、明治43年に築造され、昭和57年10月まで72年間にわたり、函館市内で電話の地下ケーブルを収容する設備として使われてきたもので「変形三味線形」と呼ばれております。

これは、明治43年、船場町に郵便局を新築する際、電話線の地下配線が必要となり豊川町から弁天町にかけて設置されたマンホール14個のうちの1個です。

レンガの積み方は独特のもので、函館の当時の姿をあらわす文化財として保存することにいたしました。

昭和57年10月22日

函館電報電話局


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