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北斗市清川の旧神山繁樹邸

 北斗市清川に残る旧神山繁樹邸は、明治29(1896)年に建てられたもので、洋風の外観と伝統的な間取りという当時流行した建築様式を今に伝えている。
 神山繁樹は、函館の郷土史家である神山茂の祖父にあたる人物で、嘉永2(1849)年に会津で生まれ、明治4(1871)年函館にやってきた。函館で牛肉店、ホテル、洋食店などを営み実業家としての成功を収めたのち、明治18(1885)年に清川村に移り住む。
 清川村でも多くの小作人を抱える開拓農場主として活躍したほか、沖川小学校や清川寺の改築にも尽力し、昭和9(1934)年、87歳でこの世を去った。

旧神山繁樹邸

旧神山繁樹邸

旧神山繁樹邸

旧神山繁樹邸

旧神山繁樹邸

旧神山繁樹邸

旧神山繁樹邸

旧神山繁樹邸

※2019年6月2日撮影。

場所

参考

  • 川島智生『明治中期の北海道における開拓農場主住宅について—函館近郊上磯町の旧神山繁樹邸からみえてくること—』「神戸女学院大学論集57巻1号(2010)」p.27-45
     この論文のなかで著者は、旧神山繁樹邸が明治5年に札幌で建設された通称「ガラス邸」と呼ばれた開拓使官舎をモデルにしていた可能性があると述べている。
     なお、以下気になった点を挙げる。

    • 1章の「4節. 和洋折衷の棲み分け」(p.31)冒頭の「ほぼ近接した面積を示す。」は和室のことか?
    • 「3章. 上磯郡清川村」の冒頭(p.40)、「平成17年(2005)年に北斗市となった」とあるのは「平成18年(2006)年に北斗市となった」の誤り。
    • 4章の「2節. 清川村へ」中(p.42)「明治18(1895)年に、神山繁樹は函館を去り、清川村に移住する。47歳の時である。」とあるが明治18年であれば1885年であり、まだ36〜37歳の頃となる。
    • 結語の1)(p.43)中「現北杜市」とあるのは「現北斗市」の誤り。



谷好寺

谷好寺

谷好寺。住所は谷好(たによし)ですが、「こっこうじ」と読みます。
平成31年3月24日訪問。

  • 谷好寺
  • 北斗市谷好3丁目12番5号

八郎沼公園

八郎沼公園
八郎沼公園
八郎沼公園
八郎沼公園
八郎沼公園

平成30年10月28日訪問。

説明板

八郎沼公園の由来
八郎沼のおこりは、明治13年の頃山田致人(現愛媛県生れ)が、隣接向野の観音山附近で乳牛5頭を飼育したことに始まるといわれ、致人は牛に水を飲ませるためにこの地に池を掘り水を貯わえたものであったが、その後中村長八郎が、水田のかんがいの用水源確保と養鯉場として修築したものが今日の沼の原形となり地元村民は名付けて「八郎沼」と称した。又、公園は昭和50年から大野町が構想を樹て綜合公園をめざして各種施設を整備し、今では町の内外から親しまれ憩の場として利用度が高まっている。
大野町教育委員会
大野町観光協会
平成18年2月1日より北斗市

八郎沼公園

八郎沼公園
八郎沼の起こりは、明治13年山田致人「弘化3年伊予国(現愛媛県)生まれ」が向野の観音山で酪農を始めたことにある。乳牛頭数5頭、うち4頭は雌であったという。致人が牛に水を飲ませるために池を掘って水を貯えたもので、それが水田の用水ともなった。後年、中村長八郎氏が修築し、養鯉場や水田かんがい用のために造ったのがこの沼であり、長八郎氏の名前にちなんで「八郎沼」と名付けられたといわれている。昭和50年頃から町が公園用地として綜合公園をめざして整備に着手し、現在では「八郎沼公園」として、近郊の市町村や多くの町民に広く親しまれ、憩いの場に利用されている。
平成2年6月
大野町教育委員会
平成18年2月1日より北斗市教育委員会

場所


北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

「北海道知事  田中敏文書」とあり。

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

  • 2018/6/6 撮影。

碑銘

北海道水田発祥の地碑

水田発祥由来
亀田郡大野村字文月押上のこの地に元禄五年農民作右エ門なる者南部の野田村から移つて人々の定着は米にあるとして地を拓し自然水により四百五十坪を開田し産米十俵を収穫した爾来消長あつたが後「御上田」と称して現在に及んでいる 先人未踏の北辺に今日道産米三百万石の基礎はかうして発祥したものである
渡島支庁長 岡武夫書
昭和二十四年八月建之

北斗市教育委員会の説明板

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑
蝦夷地の米作りには、寛文年間(1661〜72)、貞享2年(1685)、元禄5年(1692)の記録がある。水田発祥の地碑は、元禄5年の「松前志」の記録と村民の伝承によって昭和24年(1949)に建てられた。
碑文には「押上(文月村)のこの地に元禄五年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って、人々の定着は米にあるとしてこの地を拓し、四百五十坪(約15アール)を開田し、道米十俵(現在の二俵程度)を収穫した」と記されている。現在の道産米の基礎はこうして発祥した。
作右衛門の水田は2、3年で廃止され、その後も稲作は失敗と成功を繰り返し、文化2年(1805)には箱館奉行が大規模な水田開発を行ったが、長くは続かなかった。
嘉永3年(1850)、大野村の高田松五郎・万次郎親子が苦心の末、米の収穫に成功すると、近隣の村々にも広がり、安政元年(1854)以降、米作りはようやく安定した。明治6年(1873)になって、島松(現北広島市)の中山久蔵がこの地の品種「赤毛」で寒冷地稲作に成功し、米作りは全道各地に広がったのである。
平成18年3月吉日
北斗市教育委員会

『松前志』

北海道大学北方資料室蔵帝国図書館所蔵本写

松前志

東京国立博物館蔵

松前志

北大蔵の写本よりもこちらの方が読みやすい。北斗市教育委員会の説明板に「「松前志」の記録」とあるのは『松前志巻之六』の冒頭に出てくる、

元禄五年東部亀田ニテ作左衛門ト云モノ新田ヲ試ミケレド二三年ニシテ廃レタリ

のことと思われる。なお、碑銘、説明板で「作右衛門」と紹介されている人物は、『松前志』では(北大、東国博ともに)「作左衛門」となっていた。

上記の記載に続けて、辺幾利地(へきりち)についても言及されており、ほぼ同時期に旧上磯地区においても開田が試みられていたらしい。

同七年東部辺幾利地ニテ墾田ヲ試ミシカ實リテ新米ヲ藩主ヘ呈セシコトアリ

次いで江差についての記載があり、この時期の道南各地で稲作が試行されつつあったことがわかる。

場所

その他



サッポロビールの葡萄園「グランポレール北海道北斗ヴィンヤード」開園

サッポロビールが、北斗市三ツ石に大規模葡萄園「グランポレール北海道北斗ヴィンヤード(仮称)」を開園。2021年には最初の収穫を、2022年には収穫されたぶどうから醸造したワインの発売を目指している。

「グランポレール」とは「偉大なる北極星」といった意味か。「北斗」も「北極星」をあらわす場合もあるそうなので、ワインの名前ともぴったりだと思料。


北海道Likersで「おぐにビーフ」が紹介されていました

大地を創る人。「牛も、みんな違って、みんないい」。小国美仁さん(北斗市) | 北海道Likers

北海道Likersにて、北斗市おぐにビーフの小国美仁さんが紹介されています。

「いい肉を作ることではなく、儲かる肉を作ること。僕は、そうしたやり方にまったく賛同できません」

小国さんのテーマはこの一言に集約されていると思います。快適な環境で牛を育て、肉本来の良さを追求する。それが「おぐに和牛」で、その肉は、言うまでもなく抜群に美味いです。

なお、北斗市市渡に「おぐに牧場牛肉直売所」がありますが、お買い求めの際には事前に電話で「焼肉用○○円分」などと伝えておくのがよろしいかと。


平成29年度北斗市歴史講座

北斗市郷土資料館で開催される歴史講座。講師は、長谷部さんと松崎さん。これは面白いお話が聞けそうです(平日なので参加は難しそう…)。

29年度歴史講座 受講者募集 – 北斗市

第1回 12月18日(月) 道南地方のアイヌ文化-菅江真澄が観た蝦夷風俗-
講師 長谷部一弘氏(函館市縄文文化交流センター学芸員)
第2回 1月24日(水) 下之国矢不来館跡と上之国勝山館跡-蠣崎氏の台頭と下之国守護職の終焉-
講師 松崎水穂氏(元上ノ国町教育委員会学芸員)

時間 午後6時30分~8時
会場 北斗市郷土資料館 交流スペース(北斗市総合分庁舎内2階)
受講料 無料
定員 各講座30名(定員になりしだい締切)
申込方法 前日までに、お電話で申し込んで下さい。
申込先 北斗市郷土資料館(分庁舎2階) 電話:77-8811