北斗市一覧

北海道Likersで「おぐにビーフ」が紹介されていました

大地を創る人。「牛も、みんな違って、みんないい」。小国美仁さん(北斗市) | 北海道Likers

北海道Likersにて、北斗市おぐにビーフの小国美仁さんが紹介されています。

「いい肉を作ることではなく、儲かる肉を作ること。僕は、そうしたやり方にまったく賛同できません」

小国さんのテーマはこの一言に集約されていると思います。快適な環境で牛を育て、肉本来の良さを追求する。それが「おぐに和牛」で、その肉は、言うまでもなく抜群に美味いです。

なお、北斗市市渡に「おぐに牧場牛肉直売所」がありますが、お買い求めの際には事前に電話で「焼肉用○○円分」などと伝えておくのがよろしいかと。


平成29年度北斗市歴史講座

北斗市郷土資料館で開催される歴史講座。講師は、長谷部さんと松崎さん。これは面白いお話が聞けそうです(平日なので参加は難しそう…)。

29年度歴史講座 受講者募集 – 北斗市

第1回 12月18日(月) 道南地方のアイヌ文化-菅江真澄が観た蝦夷風俗-
講師 長谷部一弘氏(函館市縄文文化交流センター学芸員)
第2回 1月24日(水) 下之国矢不来館跡と上之国勝山館跡-蠣崎氏の台頭と下之国守護職の終焉-
講師 松崎水穂氏(元上ノ国町教育委員会学芸員)

時間 午後6時30分~8時
会場 北斗市郷土資料館 交流スペース(北斗市総合分庁舎内2階)
受講料 無料
定員 各講座30名(定員になりしだい締切)
申込方法 前日までに、お電話で申し込んで下さい。
申込先 北斗市郷土資料館(分庁舎2階) 電話:77-8811


第6回特別展 北海道・北斗市 指定文化財展 15世紀陶器〜17世紀円空仏〜19世紀絵図まで

第6回特別展 北海道・北斗市 指定文化財展 15世紀陶器〜17世紀円空仏〜19世紀絵図まで

北斗市郷土資料館特別展に行ってきました。

円空仏3体が並ぶのはとても貴重なことで、おそらく最初で最後になろうかと思われます。

  • 上磯八幡宮蔵の円空仏(左)
    • どうして上磯八幡宮に伝わったのかは不明。蓮華座が欠けているのは、ケースに収納するために削られたものらしいです。
  • 曹渓寺蔵の円空仏(中)
    • 訳あって顔面が削られ、また訳あって蓮華座付近が削られている悲しみを背負った一体。
  • 富川八幡宮の円空仏(右)
    • かなり虫にやられてしまった一体。昔、地域の安産祈願仏だったとか。

以下、展示のキャプション。

円空は寛永9年(1632)、美濃国(現岐阜県)に生まれ、23歳で出家した江戸時代初期の僧で、宗派は天台密教とされる。行基菩薩の徳風を慕って、十二万体の仏像彫刻の願を起こし、全国各地に仏像を造顕した。
円空は寛文6年(1666)に蝦夷地に渡り仏像を作成した。ゴツゴツした野生味に溢れながらも不可思議な微笑みをたたえている。一刀彫という独特な彫りが作品の個性を引き立てる。
北斗市指定の三体の円空仏は、鉈仏の極意に達した充実の作品に見られる迫力や荒々しさはないが、端正で純粋な作品に仕上がっている。
 上磯八幡宮 神像円空仏 指定年月日: 昭和40年(1965)11月1日
 曹渓寺 円空作仏像 観音像 指定年月日: 昭和55年(1980)9月1日
  曹渓寺円空仏は、昭和10年(1935)道庁史跡調査員の杉山寿栄男氏により道内で初めて発見された。本道の円空仏調査の先駆けの仏像である。
 富川八幡宮 円空作仏像 観音像 指定年月日: 昭和55年(1980)9月1日

矢不来館出土品である中国製陶磁器なども展示されています。
道南十二館のひとつ、茂別館と近く、茂別館と一体的なものだったのか気になります。
当時盛んだった日本海貿易が、津軽十三湊よりも北上したこの地でも行われていたのでは、などと空想した次第です。

第6回特別展 北海道・北斗市 指定文化財展 15世紀陶器〜17世紀円空仏〜19世紀絵図まで

特別展は、11月12日までの開催ですのご関心のある方はお早めに。
なお、11月6日は休館日ですのでご注意ください。

第6回特別展 北海道・北斗市 指定文化財展 15世紀陶器〜17世紀円空仏〜19世紀絵図まで

  • 期間 平成29年10月16日〜11月12日 午前9時〜午後5時 ※休館日 11月6日(月)
  • 会場 北斗市郷土資料館2階 特別展示室

第6回特別展 北海道・北斗市 指定文化財展 15世紀陶器〜17世紀円空仏〜19世紀絵図まで


第6回 特別展 北海道・北斗市指定文化財展 15世紀陶器~17世紀円空仏~19世紀絵図まで

北斗市郷土資料館で特別展が開催されています。矢不来館出土品や北斗市内の円空仏3体も展示されているようです。

第6回 特別展 北海道・北斗市指定文化財展 15世紀陶器~17世紀円空仏~19世紀絵図まで

  • 期間 平成29年10月16日~11月12日(休館日 11月6日(月))
  • 午前9時~午後5時
  • 会場 北斗市郷土資料館2階特別展示室

以下、参考。



近所を熊が徘徊している模様

熊に注意

うちの近所を熊が徘徊している模様です。八郎沼公園近辺はこれまでも出没していますが、もっと住宅地寄りの畑も荒らされている様子。散歩などの際には、十分ご注意ください。

如才なきことながら、ヒグマです。


鹿島神社(北斗市本郷)

 

境内が、ミニなパークゴルフ場になっているお茶目な鹿島神社です。

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社(北斗市本郷)

本郷村

本郷村の起源は大野の水田の歴史でもある。
『休明光記』に「すなわち丑年(文化二年)より開発せしむるに、その年一年に功を成すこと新田百五十町歩、田九十町歩字庚申塚・五十町歩字文月」とあり、これだけの大きな面積の開田は蝦夷地で初めてのことだった。
本郷の地名の由来は、庚申塚のあった所となっている。『新撰北海道史』にも「庚申塚のち本郷と称す」と記載されており、庚申塚が建てられたのは寛政8(1796)年で、文化2年の大開田より9年前のことである。
鹿島神社が寛政年間(1789〜1800)の鎮座となっており、このころから人家も増えたものと考えられる。
明治33(1900)年に大野村へ統一され、昭和7(1932)年の字名改正までは8つの字があった。同年、本郷、細入、白川の3つの字が制定された。

平成15年8月吉日
大野町教育委員会

平成18年2月1日より北斗市教育委員会

旧本郷小学校

本郷小学校は、これまで開校と廃校の記録だけで、幻の学校であったが、「新大野町史」編さんに伴う調査で沿革誌や卒業証書が発見され、存在が明らかになった。
この学校は明治17年(1884)9月、大野小学校から独立、分離し、同32年の廃校まで、およそ16年間、独立校として存在した。校区は本郷、白川地区を中心とした当時の本郷村で、校舎は鹿島神社社務所付近にあったと伝えられている。
明治19年の「公立本郷小学校沿革誌」によると、この年の入学者は男子10名、女子2名、退学者は男女各1名で、秋季定期試験受験者は男子25名、女子3名、計28名とあり、相当数の生徒が通学していたことがわかる。教員には、五十嵐量平や高橋松三郎がいた。
廃校の理由には、大野小が明治30年10月、現在の役場所在地から現在地に移転し、通学が容易になったことが考えられる。廃校によって本郷小の児童は、鹿島神社横の通りで分断され、大野村側は大野小へ、市渡村側は市渡小へと通うことになった。

平成16年11月吉日
大野町教育委員会

平成18年2月1日より北斗市教育委員会

鹿島神社(北斗市本郷)

鹿島神社と庚申塚

鹿島神社の起源についてはつまびらかではない。市川十郎の「蝦夷実地検考録」では寛政年間(1789〜1801年)とし、村史では文政年間(1818〜1830年)となっている。この地が、文化年間(1804〜1818年)に箱館奉行の手で水田の開発が行われた頃は、庚申塚と称されていたので、鹿島神社の鎮守はその後であろう。
文化2年(1805年)箱館奉行の大開田が行われ、同時に民間人の白川伊右衛門(相馬藩士)も開田に努力しているが、数年で病没、兄の伊左衛門が後を継ぎ、箱館奉行の援助で水田開発を完成した。これを基盤として本郷村が形成された。
鹿島神社の祭神は、武甕槌大神である。農村には稲荷神社が多いのに、本郷だけに鹿島明神が奉祇されたのは異様であるが、本郷村の開祖と関係ある白川一族の渡来先の因由に基づくものであると考えられる。境内にある庚申塚は、大野で一番古いもので、寛政8年(1796年)に建てられた。当時の9名の有名人の名が刻まれている。
庚申信仰は、庚申の年に禁忌を要求したもので、村のはずれや辻に建てられたと言われている。また、ここにカツラの大樹が残されているが、明治初年の植樹である。

平成3年5月
大野町教育委員会

平成18年2月1日より北斗市教育委員会


山口博(1979)『Ora et Labora』弘告社

山口博(1979)『Ora et Labora』弘告社

トラピスト修道院の貴重な写真集です。修道院の売店で購入しました。

“Ora et Labora”、祈れ働け。この言葉どおり、厳かで規律的な修道院での日々の祈りと生活の様子が伝わってきます。

1979年、昭和54年の発行。今から約40年前の修道院の様子です。数年前に中をご案内いただいた際の印象とほとんど変わっていないことから、日々の手入れが行き届いていることを実感します。


法亀寺のしだれ桜

法亀寺のしだれ桜

法亀寺のしだれ桜。今年もたくさんの方がいらしてました。ウソに蕾をやられて花が少ないと言われていましたが、それでも十分に見応えがあります。夜のライトアップはさらに素晴らしいものです。

法亀寺のしだれ桜と小山内龍

法亀寺は日蓮宗実行寺の末寺である。1849年(嘉永2)大野村東下町に法亀庵として建てられ、その後法亀寺に改称し、1889年(明治22)現在地に移転した。
境内にある一本のしだれ桜は推定樹齢300年で高さは12mくらい。
垂れ下がった枝いっぱいに花が咲く。これほど見事な桜は珍しいという。
また、小山内龍(本名澤田鉄三郎)は函館に生まれ東京で漫画家、絵本作家として活躍した。「昆虫放談」は名作である。1945年(昭和20年)戦災に遭い本町に疎開し翌年なくなった。小山内龍は法亀寺に眠っている。
法亀庵建立に尽力した中村金兵衛や大野小学校長田中幸次郎の墓、果樹王と呼ばれた岡山峰吉の碑などがある。
平成11年10月
大野町教育委員会
平成18年2月1日より北斗市教育委員会

 

岡山峰吉の碑

碑文は「岡山峰吉(みねきち)君は理想に近き実業家なり。君を失いしは大野村の一大損失にして、その誇りとする青年の指導者を失いしなり」の一節から始まる。
明治末期から大正中期にかけて、村民から「果樹王」と呼ばれた岡山峰吉は、明治4年(1871)、茨城県河内郡太田で生まれた。同31年7月、夕張、長沼を経て、単身大野へ移住している。峰吉の果樹園はかつて山田致人(むねと)が果樹園を試みた地で、苗床10町歩、果樹園10町歩を経営し、りんご、なし、桜桃(おうとう)、ぶどうを栽培、年産額1万円の収穫を得るまでに成功したことが碑文に記されている。
その努力と大成功に村民から敬愛されたが、大正9年(1920)3月、数え年50の春に他界した。石碑は同年6月、峰吉の妻・蘭によって向野の道路沿いに建てられ、後に法亀寺に移された。碑文を書いた伊藤松太郎は函館の教会の牧師で、峰吉は熱心なクリスチャンでもあった。
短命で後継者のない、はかない果樹王であったが、法亀寺の墓に刻まれた遺言と思われる「我は復活也生命なり」という句から、世俗を達観した人であった。
平成18年3月吉日
北斗市教育委員会

参考


さくらソフトクリーム@鈴木牧場牛乳 2017

鈴木牧場牛乳

自宅から徒歩5分の鈴木牧場牛乳。今日も車が続々と駐車場に並びます。ナンバーを見ると「札幌」「旭川」などの文字があったので、ゴールデンウィークで来られた方なんでしょうね。

法亀寺の枝垂れ桜と並ぶ向野の観光スポットのひとつであります。

渡島総合振興局のサイトによれば、

大正9年創業以来、地域に親しまれてきた歴史の長い老舗ブランドです。
創業当初から、町内全域を対象とした牛乳配達をメインに、酪農業に携わってきました。
直売所が平成14年7月にオープン!

とのことで、かなり歴史のある牧場です。

北海道渡島総合振興局 産業振興部農務課>鈴木牧場牛乳2017-04-30(Sun) 21:52:45アクセス

さくらソフトクリームは、季節限定なのでお早めにどうぞ。

鈴木牧場牛乳

牛も見えます。