北斗市一覧

平成27年度開業 北海道新幹線 新函館(仮称)駅の模型

北海道新幹線は平成27年度末(平成28年の3月頃でしょうか?)の開業となり、北斗市内において着々と新駅の工事が進められている。

新聞報道でも駅舎模型の公開について伝えられていたが、北斗市役所庁舎1階ロビーに模型が展示されている。

駅内の柱のデザインは、北斗市当別のトラピスト修道院へと続くポプラ並木をイメージしたもの。

天井部分にも木材を使用するなど北海道らしさを伝える努力が行われている。

 

 

※写真の提供は北斗市観光協会。多謝!

 


南の都函館から北の都札幌を目指す特急北斗

函館〜札幌間の鉄路と言えば、振り子の特急スーパー北斗が主流だろうが、スーパーの付かない特急北斗もまだまだ現役である。車両の臭い、ディーゼルの音も良い。

ウィキペディアを引くと、「北斗」の名称は北斗七星に由来し「北都=札幌行きの列車」というイメージも重ねられているとのこと。ちなみに北斗市の「北斗」にはそのような意味合いはなかったはず。

北斗市も札幌、函館、旭川に続く「北都」になれればとしみじみ思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/北斗_(列車)

 


ローマへの道 冬物語

2012年12月24日訪問。クリスマスイブの夜に北斗市当別のトラピスト修道院で行われたイベント。地域の方々の熱意により、手作りで開催された。

しばれる、静かな夜に浮かぶキャンドルの灯り。とても幻想的だった。

 

トラピスト修道院に至る道を照らすキャンドルの灯。

 

一つ一つ手作り。牛乳パックを型枠として作られている。風に吹かれ、消えては付け、消えては付け・・・。地元の方々の地域に対する熱意が伝わる。

 

また来年。

 


らーめん韋駄天

北斗市本町の「らーめん韋駄天」。魚介系ながらしっかり系スープ。ちぢれ麺とよく絡み最高である。

店の中は、外見のイメージと異なり十分なスペースがあるので、家族連れでも全く問題がない。子ども用のイスやヌードルカッターも用意されており非常に親切だ。

 

 

 

2012年12月7日訪問。

 

らーめん韋駄天
電話:0138-77-7882
場所:北斗市本町102-2
営業時間:11:30~21:00

 


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レストハウスいながわのカツピラフ

北斗市本郷、レストハウスいながわ。ピラフの上に薄い卵焼きを載せ、その上に大胆にカツを配置したカツピラフ。これがオススメ。

腹の空き具合によっては、大盛りも有り。

2012年11月8日訪問。

 

レストハウスいながわ
場所:北斗市本郷57-1
電話:0138-77-9756

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北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地。現在では、「ふっくりんこ」の生まれ故郷。過去から現在、そして未来、北海道の米の歴史は、いつもここから。

碑の内容は次のとおり。

水田発祥由来

亀田郡大野村字文月押上のこの地に元禄五年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って人々の定着は米にあるとして地を拓し自然水により四百五十坪を開田し産米十俵を収穫した 尓来消長あったが後「御上田」と称して現在に及んでいる 先人未踏の北辺に今日道産米三百万石の基礎はかうして発祥したものである

渡島支庁長 岡武夫書

昭和二十四年八月 建之

 

2012年9月15日訪問。

北斗市教育委員会による説明板の内容は次のとおり。

 北海道水田発祥の地碑

蝦夷地の米作りには、寛文年間(1661~71年)、貞享2年(1685年)、元禄5年(1692年)の記録がある。水田発祥の地碑は、元禄5年の『松前志』の記録と村民の伝承によって昭和24年(1949年)に建てられた。

碑文には「押上(文月村)のこの地に元禄五年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って、人々の定着は米にあるとしてこの地を拓し、四百五十坪(約15アール)を開田し、産米十俵(現在の2俵程度)を収穫した」と記されている。現在の道産米の基礎はこうして発祥した。

作右衛門の水田は2、3年で廃止され、その後も稲作は失敗と成功を繰り返し、文化2年(1805年)には箱館奉行が大規模な水田開発を行ったが、長くは続かなかった。

嘉永3年(1850年)、大野村の高田松五郎・万次郎親子が苦心の末、米の収穫に成功すると、近隣の村々にも広がり、安政元年(1854)以降、米作りはようやく安定した。明治6年(1873年)になって、島松(現北広島市)の中山久蔵がこの地の品種「赤毛」で寒冷地稲作に成功し、米作りは全道各地に広がったのである。

平成18年3月 北斗市教育委員会


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中山峠と切り掛けのオンコ

中山峠の頂上、トンネル手前に函館バス停留所がある。その奥には、「中山峠」と「切り掛けのオンコ」、2つの説明板が設置されている。

昔から渡島と檜山を結ぶ動線であり、切り掛けのオンコと呼ばれる木も大切な目印の役目を果たしていたとか。

2012年10月8日訪問。

北斗市教育委員会設置説明板の内容は次のとおり。

中山峠(江差山道)

函館・江差間の国道227号は、渡島と桧山を結ぶ動脈である。江差山道開削には、嘉永6年(1853年)、市渡の大悲庵・道仙と木間内(厚沢部)の麓長吉、安政4年(1857年)、江差の鈴鹿甚右衛門、明治3年(1870)、現如上人が、それぞれ挑み、改良を加えている。

この間、明治元~2年(1868~69年)には箱館戦争があり、緒戦を制した榎本軍は山道沿いに塹壕を築いた。乙部、江差から反撃に転じた新政府軍の進撃を、土方隊が台場山で食い止め激しく戦った。しかし、榎本の命で五稜郭へ退却した。

明治14年(1881年)2月、江差爾志郡役所の清水三四郎は用務で函館へ赴き、帰途、吹雪にあい遭難した。その死を悼み天狗岳の麓に碑が建っている。

山道は旅人の難所であったが、明治19年(1886年)、道庁は2年をかけ官営事業として初めて江差山道の大改修をした。その様子は沢田雪渓が描いた石版画により、旧新道路の比較ができ、つぶさに観察できる。

昭和41年(1966年)には、新中山隧道の完成とアップダウンの解消など改良を加え、舗装を施し、函館江差間は整備された。

平成13年10月 大野町教育委員会

 

切り掛けのオンコ

ここ中山隧道バス停から約500メートルほど江差方向に進むと、右側の小高い丘になっているところにあるオンコの木を「切り掛けのオンコ」という。これは明治2年(1869年)現在の『市渡村絵図』(大野町教委所蔵)に記されており、ここが駅逓で大野側と檜山側の郵便物交換場所であった。オンコはその目印であったと言い伝えられている。

江差山道は、渡島と檜山の交通上の要路であり、山道を開くために多くの人たちが挑んでいる。最初に挑んだ人は、市渡・大悲庵(円通寺の前名)の庵主・道仙と木間内(厚沢部)の旅籠屋の主人・麓長吉である。安政元年(1845年)のことであるが、資金難と人手不足で工事途中で挫折したという。その後、安政5年に鈴鹿甚右衛門と長坂庄兵衛が総工費800両、道幅2間(約3.6メートル)、延長43kmを完成した。これらの工事は、いずれも宗教家または篤志家の社会奉仕的事業で実現した。

江差山道の画期的工事は明治18年に起工され、翌年11月に開通した官営の工事である。この大工事後いくばくもなく大野新道が開通し、渡島・檜山が一連ルートで結ばれ、現在の国道227号として現出したものである。

「切り掛けのオンコ」は、現在のように道路が整備されない時代の文書交換の貴重な場所と注目され、当時が偲ばれるものである。

平成14年8月 大野町教育委員会


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らーめん響七重浜店

函館市と北斗市との境目、ギリギリ北斗市七重浜側に、函館ラーメン界でも人気の「らーめん響七重浜店」がある。店内は北浜町本店よりもこぢんまりしているため、お昼時は行列に。

味はもちろん文句なし。本店同様、濃厚スープと、スープとしっかり絡むちぢれ麺、そしてボリューム満点の炙り叉焼。半炒飯やミニ炙丼とのセットもオススメ。

〒040-0078
北斗市七重浜2-14-2
TEL:0138-48-7818
AM11:00~PM3:00 PM5:00~PM9:00
休日:火曜日定休


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