北斗市一覧

葛登支の三木露風歌碑

平成15年(2003年)に建立された三木露風歌碑。葛登支稲荷の手前にある。

 

葛登支三木露風歌碑

2003年7月13日撮影。

 

葛登支三木露風歌碑

2003年7月13日撮影。碑の内容は以下のとおり。

 

はるかなる 岬の上に 立ちにける

白き燈台 日に輝けり

三木露風トラピスト歌集より

平成15年7月吉日

葛登支稲荷奉賛会 加藤 哲恵

上磯地方史研究会 有志一同

謹書 上磯町教育長 田中 則夫

故 工藤忠孝氏の遺志により建立

 



CEMENT

『CEMENT』吉村和敏,ノストロ・ボスコ,2010年。

12月12日に発売された太平洋セメント上磯工場の写真集を購入。セメント工場の力強さを感じることが出来る一冊。1つの工場だけで一冊の写真集となるのは、とても珍しいことらしい。

最近、工場に興味を抱く人が増えているらしい。アニメ、鉄道、歴史、次は工場のようだ。実は私もその一人。工場で稼働する機械、重機、パイプライン等は、見ていて飽きない。

 

セメント工場は、北斗市民には見慣れた工場で、見慣れすぎているため、あまり特別な思いをもつことも少ないだろうが、写真となった工場の姿は、きっと普段とは違って見えるはず。

 

CEMENT



有川大神宮

北斗市役所のすぐ隣にある有川大神宮。由緒については諸説あるようだ。

保存樹林ということで、境内の木々も相当な古さを感じさせる大木が多い。

 

有川大神宮

2010年1月4日撮影。

 

有川大神宮

2010年1月4日撮影。

 

北斗市設置の保存樹林に係る説明板の内容は次のとおり。

 

保存樹林

樹種 スギ・クロマツ・アカマツ・イチイ他 樹齢推定100年から350年以上

指定理由 有川大神宮は、応永2年(1395年)に九州秋月藩士の種田一族が蝦夷に渡り、この有川に居を構え神宮祠を祀ったのがはじまりで、慶長2年(1597年)伊勢神宮のご分霊を奉戴し神社として創建されたものです。境内の樹木の中には推定樹齢350年以上の大イチョウの木が健全としてあるなど樹木の集団として、貴重なものである。

指定番号 第1号

指定年月日 昭和62年3月31日

所有者または管理者 有川大神宮 宮司 種田一郎

北斗市


きじひき高原

北斗市の隠れ観光スポット「きじひき高原」。

天気の良い日には、駒ヶ岳、大沼、函館山が一望できる。さらには羊蹄山が見えることも。

 

きじひきから見る駒ヶ岳と大沼

2009年9月27日撮影。駒ヶ岳と大沼を一望す。

 

公共育成牧場サイロ跡

2009年9月27日撮影。旧大野町公共育成牧場サイロ跡。

 

きじひきの牛

2009年9月27日撮影。きじひき高原で預かっている牛。道路の近くまで来ていることもある。間近で見ると結構こわい。

 

きじひきから見える函館山

2009年9月27日撮影。きじひき高原から見える函館山。


北海道水田発祥の地碑

北海道の水田発祥について、発祥の地碑があるのは現在の北斗市である。

1番がどこかというのはどうでもよくて、北海道における米作りの先駆的な場所だったということが重要であると個人的には思っている。

現在では北海道米を代表する「ふっくりんこ」。これに繋がる道南における米作りの歴史。ここが面白いところ。

 

北海道水田発祥の地碑

2009年8月2日撮影。

 

北斗市教育委員会設置の説明板の内容は次のとおり。

 

 

北海道水田発祥の地碑
蝦夷地の米作りには、寛文年間(1661〜72)貞享2年(1685)、元禄5年(1692)の記録がある。水田発祥の地碑は、元禄5年の「松前志」の記録と村民の伝承によって昭和24年(1949)に建てられた。
碑文には「押上(文月村)のこの地に元禄5年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って、人々の定着は米にあるとしてこの地を拓し、450坪(約15アール)を開田し、道米10俵(現在の2俵程度)を収穫した」と記されている。現在の道産米の基礎はこうして発祥した。
作右衛門の水田は2、3年で廃止され、その後も稲作は失敗と成功を繰り返し、文化2年(1805)には箱館奉行が大規模な水田開発を行ったが、長くは続かなかった。
嘉永3年(1850)、大野村の高田松五郎・万次郎親子が苦心の末、米の収穫に成功すると、近隣の村々にも広がり、安政元年(1954)以降、米作りはようやく安定した。明治6年(1873)になって、島松(現北広島市)の中山久蔵がこの地の品種「赤毛」で寒冷地稲作に成功し、米作りは全道各地に広がったのである。
平成18年3月吉日
北斗市教育委員会
 
 



トラピスト修道院(2008年)

トラピスト修道院へ続く道

2008年7月26日撮影。北斗市、トラピスト修道院へ続く一本道。

 

トラピスト修道院〜草原

2008年7月26日撮影。トラピスト修道院前の原っぱ。冬は一面、雪野原となる。

 

トラピスト修道院からの眺め

2008年7月26日撮影。トラピスト修道院前からの眺め。並木道の先に津軽海峡が見える。

 

トラピスト修道院

2008年7月26日撮影。トラピスト修道院を正面から。

 

修道院の由来、沿革が記された看板の内容は以下のとおり。

 

 

トラピスト修道院の由来
正式名は、厳律シトー会灯台の聖母大修道院という。
明治29年(1896年)フランスから数名の修道士たちが木造の修道院を建てた。
日本で、最初の男子修道院であります。
トラピストの生活は、祈り、労働、読書(聖なる書物)で、その1日は、祈りにより始まり祈りによって終わります。
創立以来、畑の開拓、農耕、牧畜、酪農に力をいれ、ホルスタイン乳牛の輸入をし、その普及は北海道の酪農振興に多大な貢献をいたしました。
明治36年、木造の修道院は焼失した。
現在の二階建本館は、明治40年着手し翌年完成しております。また聖堂は昭和49年に建てられたものです。
トラピストでつくられるバタークッキーは今では北海道を代表する特産品として全国的に広がり、上磯町が誇る一村一品であります。
日々、たえることなく鳴りひびくアンジェラスの鐘、黙々と祈りと労働を持って神に仕える修道士の姿、ここには異国にみる聖地の情景があり訪れる人々の心を和らげます。
 
 
トラピスト修道院の沿革
明治29年(1896年)にフランスから数名の修道士が来日して、津軽海峡を眼下に臨む当地にトラピスト修道院を設立しましたが、トラピストの歴史は古く、その起源は11世紀にまでさかのぼります。
聖ロベルト(1018年〜1111年)は、現在のフランス・シトーの地に新修道院を創設し(1098年)、ここからシトー修道会が生まれました。
そして、1664年、シトー修道会に属するトラップ修道院(フランス)で、より厳格な生活を望む改革運動が起こり、この流れを汲むものをトラピストと呼ぶようになりました。
トラピスト修道院はカトリック教会に属し、日本国内には七つの修道院(その内五つは女子でトラピスチヌとして知られています)を持ち、国外には137の修道院(その内、50は女子)があります。聖書の教えと、聖ベネディクト(480年〜547年)の修道戒律に従い、「祈り・労働・聖なる読書」を中心とした観想生活を送っています。

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