平成15年(2003年)に建立された三木露風歌碑。葛登支稲荷の手前にある。
2003年7月13日撮影。
2003年7月13日撮影。碑の内容は以下のとおり。
はるかなる 岬の上に 立ちにける
白き燈台 日に輝けり
三木露風トラピスト歌集より
平成15年7月吉日
葛登支稲荷奉賛会 加藤 哲恵
上磯地方史研究会 有志一同
謹書 上磯町教育長 田中 則夫
故 工藤忠孝氏の遺志により建立
道南の歴史等
北斗市役所のすぐ隣にある有川大神宮。由緒については諸説有り。
2010年1月4日撮影。
2010年1月4日撮影。
北斗市設置の保存樹林に係る説明板の内容は次のとおり。
保存樹林
樹種 スギ・クロマツ・アカマツ・イチイ他 樹齢推定100年から350年以上
指定理由 有川大神宮は、応永2年(1395年)に九州秋月藩士の種田一族が蝦夷に渡り、この有川に居を構え神宮祠を祀ったのがはじまりで、慶長2年(1597年)伊勢神宮のご分霊を奉戴し神社として創建されたものです。境内の樹木の中には推定樹齢350年以上の大イチョウの木が健全としてあるなど樹木の集団として、貴重なものである。
指定番号 第1号
指定年月日 昭和62年3月31日
所有者または管理者 有川大神宮 宮司 種田一郎
北斗市
2008年7月26日撮影。北斗市、トラピスト修道院へ続く一本道。
2008年7月26日撮影。トラピスト修道院前の原っぱ。冬は一面、雪野原となる。
2008年7月26日撮影。トラピスト修道院前からの眺め。並木道の先に津軽海峡が見える。
2008年7月26日撮影。トラピスト修道院を正面から。
修道院の由来、沿革が記された看板の内容は以下のとおり。
トラピスト修道院の由来正式名は、厳律シトー会灯台の聖母大修道院という。明治29年(1896年)フランスから数名の修道士たちが木造の修道院を建てた。日本で、最初の男子修道院であります。トラピストの生活は、祈り、労働、読書(聖なる書物)で、その1日は、祈りにより始まり祈りによって終わります。創立以来、畑の開拓、農耕、牧畜、酪農に力をいれ、ホルスタイン乳牛の輸入をし、その普及は北海道の酪農振興に多大な貢献をいたしました。明治36年、木造の修道院は焼失した。現在の二階建本館は、明治40年着手し翌年完成しております。また聖堂は昭和49年に建てられたものです。トラピストでつくられるバタークッキーは今では北海道を代表する特産品として全国的に広がり、上磯町が誇る一村一品であります。日々、たえることなく鳴りひびくアンジェラスの鐘、黙々と祈りと労働を持って神に仕える修道士の姿、ここには異国にみる聖地の情景があり訪れる人々の心を和らげます。
トラピスト修道院の沿革明治29年(1896年)にフランスから数名の修道士が来日して、津軽海峡を眼下に臨む当地にトラピスト修道院を設立しましたが、トラピストの歴史は古く、その起源は11世紀にまでさかのぼります。聖ロベルト(1018年〜1111年)は、現在のフランス・シトーの地に新修道院を創設し(1098年)、ここからシトー修道会が生まれました。そして、1664年、シトー修道会に属するトラップ修道院(フランス)で、より厳格な生活を望む改革運動が起こり、この流れを汲むものをトラピストと呼ぶようになりました。トラピスト修道院はカトリック教会に属し、日本国内には七つの修道院(その内五つは女子でトラピスチヌとして知られています)を持ち、国外には137の修道院(その内、50は女子)があります。聖書の教えと、聖ベネディクト(480年〜547年)の修道戒律に従い、「祈り・労働・聖なる読書」を中心とした観想生活を送っています。
案内板に記載の内容は以下のとおり。
史跡松前藩戸切地陣屋跡この陣屋は、安政2年(1855)幕府に命じられ松前藩が築いたものです。構造は、四稜郭で亀が首を出した形をしており6つの砲座があります。郭内には17棟の建物があり、約120人で守備していましたが、完成から13年後の明治元年(1868)箱館戦争の時、相手方に陣屋が使われないよう建物に火をつけ焼払っています。この陣屋は、保存状態もよく城造りの資料として価値が高いことから、昭和40年3月18日、国の史跡に指定されました。