墨堤一覧

墨堤常夜燈

隅田公園内、隅田川沿いを進むと古めかしい燈籠が現れる。現在は隅田公園内にある牛嶋神社が、この燈籠の付近にあった明治初期に建立されたものらしい。

牛嶋神社は移転したものの、この常夜燈は重要な目印としての役割があったため、この地に残ったとのこと。

墨堤常夜燈

2011年9月23日撮影。

 

墨堤常夜燈 

2011年9月23日撮影。基礎部分に刻まれた「本所総鎮守」の文字。

 

墨堤常夜燈

2011年9月23日撮影。墨田区教育委員会による説明は次のとおり。

 

<墨田区登録文化財>

墨堤常夜燈

所在地 墨田区向島5丁目1番 隅田公園内

この常夜燈は、総高465センチメートルにも及び、宝珠部分には牛嶋神社の社紋が彫刻されています。口伝によると牛嶋神社がまだこの付近にあった明治4年(1871)頃、土手から神社へ下る坂の入口に建立されたようです。氏子たちが奉納した壬亜の燈籠としての役割に加えて、隅田川を往来する川舟のための灯台を兼ねており、墨堤の燈明として航行の安全を守っていました。

常夜燈の基礎部分には「本所総鎮守」と刻まれているだけではなく、対岸も含めた29軒の料亭と50名を超える近隣の奉納者名が刻まれています。その中には、向島の料亭として有名だった植半、八百松、武蔵屋などが、また言問團子の創始者外山新七や長命寺の桜もちの経営者山本新六の名を見ることができます。

花見客はこの常夜燈を目印に足を運び、墨堤の桜を楽しみました。また、桜と常夜燈の組み合わせは、江戸・明治の風情を思い起こさせるものとして、多くの画家や写真家が題材とした向島を代表するシンボルでした。

牛嶋神社自体は、関東大震災を契機に昭和7年(1932)に隅田公園の南(向島2丁目5番17号)に移動しましたが、墨堤常夜燈はこの地に残されました。

 平成20年3月

墨田区教育委員会

 

隅田公園 散策解説板6

常夜燈と渡し舟

隅田川の水運と向島風情の象徴

Joyato and ferryboats – water transportation of Sumida River and the symbol of Mukojima taste

この常夜燈の置かれている場所は、かつて牛嶋神社の境内地でした。牛嶋神社は隅田公園の整備とともに現在地に移転しましたが、この常夜燈だけはここに残されました。それは墨堤における重要な目印であったためです。

この付近にはかつて「竹屋の渡し」が設けられ、春の花見や夏の花火見物、明治に入ってからは向島の花柳界へと遊興客を数多く運んできました。まだ照明が発達していないこの時代にはこの常夜燈の明かりが非常に重要な役割を果たしていました。また、明治の画家達は墨堤の桜とこの常夜燈を好んで組み合わせることにより、向島の風情を描きました。当時の向島の格好のシンボルとしてその姿を今に伝えています。

The place where put this “Joyato ( night-light )” was precincts of Ushijima shrine once. Although Ushijima shrine was relocated to its present location with construction of Sumida Park, only this “Joyato” was left behind here becouse it was an important mark in “Bokutei”.

“Takeya-no-watashi ( ferryboat )” was set up this neighborhood once, and many visitors were carried to sightseeing areas. They enjoyed cherry blossom viewing at spring, fireworks at summer, and Karyukai ( the world of geisha girls, women with refined manners ) in Mukojima in Meiji era for instance.

This “Joyato” was very important role then because lighting technologies had not developed yet. In Meiji era, many painters preferred to express the taste of Mukojima by painting the matching of cherry blossoms in “Bokutei” and this “Joyato”. It remains its figure as the suitable symbol of Mukojima in those days.

 

場所:http://g.co/maps/mx4jc


墨堤植桜の碑

墨田区側、隅田公園入り口にある植桜の碑。墨堤の桜が名所になる過程において、地元有志のみならず一般の人々の功績もあったことがわかる。

植桜の碑 

2011年9月23日撮影。碑正面。

 

 植桜の碑

2011年9月23日撮影。篆額は榎本武揚による。

 

 植桜の碑

2011年9月23日撮影。碑裏面。

 

墨田区による解説は以下のとおり。

 

墨堤植桜の碑

所在 墨田区向島5丁目1番 隅田公園

この石碑は墨堤の桜の由来を記したもので、榎本武揚の篆額(てんがく)、濱邨大澥(はまむらたいかい)の撰文、宮亀年の彫刻です。

墨堤の桜は、初め四代将軍家綱の命で、皆と共にに楽しむためにと植えさせ、享保2年(1717)に八代将軍吉宗が100本の桜を、同11年には桜、桃、柳各150本植えさせ、その世話は代々隅田村の名主阪田氏が担当しました。その後文化年間に佐原鞠塢(きくう)、朝川黙翁、中山ト鄰が150本、天保2年(1831)に阪田三七郎が200余株の桜を植えました。弘化3年(1846)洪水で堤が決壊し、それを須崎村の宇田川総兵衛が独力で修築、そのことを顕彰して村人が150本、安政元年(1854)に阪田三七郎が200株、明治に至り其角堂氷機、旧水戸藩知事、寺島村の人々が各々桜を植えました。

さらに大倉喜八郎、成島柳北が名勝を守るため白鴎社を設立、村人もこれに応じ、南葛飾郡長伊志田友方は、このことを府知事に告げ植樹を助成しました。志半ばで死去した成島柳北の遺志を継いで、安田善次郎、大倉喜八郎、川崎八右衛門が出資し、村人の協力を得て墨堤の植桜が完成しました。

このような功績を永世に伝えるため、明治20年に建碑されましたが、後に堤が壊れ碑が傾いたので、明治29年に本所区長飯島保篤が大倉、安田、川崎三氏と共に起工し、榎本武揚、小野義真も出資して移設しました。

 平成2年3月

墨田区

 

隅田公園 散策解説板8

墨堤植桜之碑と桜勧進

住民が育てた墨堤の桜

“Shokuou-no-Hi” in Bokutei and “Sakura-Kanjin” – Cherry trees grown by local people

江戸時代、花見の名所として地位を確立していった墨堤も、当初の墨堤の桜は水神社(現在の隅田川神社)付近を中心に植えられていました。しかし1800年代から、地元の村の有志らによって桜が植えられ、墨堤の桜が南へと延伸して行きました。

墨堤の桜が長命寺、三囲神社と徐々に延びて、枕橋まで達したのは1880年ごろといわれています。この間は地元有志の植桜だけではなく、有志が発起人となった「桜勧進」と呼ばれる寄付が行われています。

墨堤の桜が地元の人々に愛されていた桜であることが、この植桜之碑に刻まれています。

Bokutei established a reputation as a good place of cherry blossom viewing in Edo era. Those cherry trees had planted only around Suijin shrine ( current Sumidagawa shrine ). From 1800s, volunteers in local village planted many cherry trees along the river to the South.

A row of cherry trees in Bokutei was gradually extended to “Chomei-ji temple”, “Mimeguri shrine”, and it reached “Makura Bridge” in about 1880. During the time, there was also a donation for planting cherry trees called “Sakura-Kanjin” promoted by those volunteers.

It is curved on “Shokuou-no-Hi (monument)” that cherry trees in Bokutei were loved by local people.

 

場所:http://g.co/maps/6vh64